あ、と思ったときにはすでに視線はそらされていた。
今、目が合ったよな。
たぶん。おそらく。高確率で、お互いのブラウンの視線はかち合っていたはずだ。いや、そんな気がしただけだろうか。逡巡していたためにわずかに伏せられていた視線を上げて彼女を探す。が、見える範囲にはすでに彼女の姿はなかったし、足音など大勢が歩き回るなかではひろえるはずもない。
「しょうがないか」
そうごちて俺もすべきことを探しはじめた。この町での滞在は今日までだ。団のですべきことはたくさんある。俺は頭を切り替えて、手近で仕事をもらえそうなメンバーのひとりに話しかけた
結局あの人はあれから見かけなかったな。どうも他のところ行ってたらしいけど。
夜。割り当てられた部屋のベッドで俺は思い出していた。一瞬視線が交錯していたと思ったのだが、何度も思い出そうとしたために、その真偽はもう分からなくなっていた。
でも、なぜだろうか。どうしてそんなに気になるのだろう。視線などいろんなところで、いろんなシチュエーションで、何度でも交わしている。
――理不尽だな。
自分の感じているこの不安なのか不満なのかよく分からないものが。ああいうかたちで、俺はすでにあの人のそばにポジションを得ているじゃないか。いきなり失うものでもないだろう――そう自身の納得を引き出そうとする。もっとも、それが成功しようのない試みであることはすでに分かっているのだが。
しかし不安を呼び水にした思考は止まらない。気づけば月が夜中を意味するあたりまで上ってしまっていた。ランプの油も尽きそうになっている。
理不尽だ。とんでもなく理不尽だ。
もう諦めて寝なければならない。でなければ明日に障る。そんなことはとっくに分かっている。だというのに、俺はまだまだ折り合うことはできそうになかった。
翌朝、結局ほとんど眠れなかった俺は小隊のリーダーに咎められ、少しのやりとりのあと、今日は馬車の中で休まされることになった。
「おい、どうした。すごい顔だな」
「あ――」
落ち込んで馬車の荷台に上がろうとしたそのとき、睡眠不足の原因が現れた。すぐ後ろで、いつになく上機嫌の彼女が笑って立っている。
「僕は、それが欲しかったんです。言葉でなく」
その素っ気ない声と、興味を引くものを求める視線が。
ようやっとそれだけ言葉にして、俺は荷台のへりによりかかった。
8/29/2023, 12:26:26 PM