池上さゆり

Open App

 僕が高校生のとき、父は小学生の妹と母と僕の三人を残して交通事故で亡くなった。今でも、葬式で母が泣き崩れていた姿を覚えている。残された三人で支え合いながら生きていかなければならないと考えていたが、僕が思っていた以上に母は強かった。葬式以来、一度も泣かず、常に笑って僕らを育ててくれた。
 成人して母にプレゼントを送った。それと同時に母からも父の遺産の一部だといって、お金を受け取った。父が亡くなった後も、僕たちのことをしっかりと考えて母が生きているところを見て、安心して会社の近くで一人暮らしを始めた。定期的に実家にも顔を出して、それなりに充実した生活を送っていた。
 その数年後、妹も成人して事務職に就いた。三人でお祝いの食事に出掛けて楽しく過ごした次の日。
 母は自殺した。なんの前触れもなく、突然の訃報に現実を受け止めきれなかった。親族との付き合いもほとんどなかった母の葬式には子どもである僕たち二人と、職場の人、友人が何人か参列しただけだった。遺された家で妹と今後について話し合っていると、警察から遺書を受け取った。
「お父さんが亡くなったあの日、私もあとを追うつもりでした。でも、残される二人のことを思うとそれもできなくて、成人するまでは私がしっかりと責任持って育てようと決めていました。愛する人がいなくなったこの世界の中で二人の成長がお母さんの生きる意味でした。ありがとう。幸せになってね」
 なんだ、母は何年も笑顔を取り繕っていたのだ。本当は誰もよりも辛かったのに、それを僕たちの前で出さないように我慢していたのだ。生きる意味を達成した母はこの日を待ち望んでいたのだ。
 そう思うと、責める気力もわかなかった。
 辛い中笑顔で育ててくれてありがとうと二人で遺影の前で手を合わせた。

4/27/2023, 11:45:37 AM