「すみません。少し話を聞いてもいいですか」
問われて振り返る。
柔和な笑みを浮かべた少年が、男の返答を待っていた。
「私で答えられる事であれば」
「えっと、この神社の事なんですけど」
浮かべた笑みに安堵の色を乗せた少年は、どうやら旅行者のようであった。
スマホを片手にこちらへと歩み寄るその姿に、男は僅かに目を細める。
「ここはどんな神様が奉られているんですか?調べても出てこなくって」
時折、少年のように観光目的で訪れる者はいる。
観光目的であり、興味本位であり。
理由は様々ではあるが、こうして人が完全に途絶える事がないのだから、それは悪い事ではないのだろう。
「ここには遠い過去に、国に抗った民の長が奉られています」
「国に?逆らったんですか?どうして」
「従えば、殺されていた。それ故に抗った。それだけです」
笑みが訝しげなものへと変わる。
理解はされないだろう。
血を絶やせなど。命ずる皇尊の意思も、意図も。絶やされる側からしても分からぬ事であるのだから。
「外部の干渉を受けず暮らしてきた少数の民ですから、淘汰されたのかもしれません。ですがその滅びから一つでも残そうと、その民の長は最期まで抗ったのです」
分からぬままに蹂躙され、屍を積み上げられる。
足掻いても、受け入れても結果は同じ事だというならば。適わぬと知りながらも、主は最後まで民のために刀を振るった。
その覚悟すら踏み躙り、民の血は絶えた。
残すものはなく、歴史に語られる事もなく。
「じゃあこの神社は、祟りを鎮めるために造られたんですか?」
少年の疑問に、男は首を振る。
勝者が敗者の影を恐れる事は良くある事だ。そうして奉られ、鎮められてきた御霊は数多くある。
しかしこの社は、違う。
「いいえ。ここは主を慕う者らが建てました。御霊を奉り、それを己の慰めとしたのです」
勝者の安寧を守るためではない。
民のために生きた御霊の眠りを祈るものですらない。
これは、過去を忘れる事が出来ぬ愚かな者らのよすがだ。
慰め、と繰り返す少年の表情には、最初の柔和さなど欠片も見えない。
普段ならばここまで子細を語る事のない男は、己自身に驚きながらも表情には出さず、取り繕うように言葉を続けた。
「なので、ここは他の神社とは成り立ちが異なります。御利益等は期待されない方が賢明でしょう」
観光目的であれば、酷な事を言っている。だが、男にはそれ以外の説明のしようがない。
気分を害したかと、少年を見る。
「大丈夫です。それを目的に来た訳じゃあないですから」
社を見る少年の横顔に、何故だか違和感を感じた。
原因を探ろうと、少年を注視し。すぐに理解する。
大人になりきれていない、まだ成長途中の幼さが残る顔。
その眼が。眼だけが、不釣り合いな鋭さを抱いていた。
「もう一つ、聞いてもいいですか?」
社から男へと視線を移し、少年は笑う。
人好きのする笑みに、消えぬ眼の鋭さが異様だった。
「ここに、女の子が来ていませんか?髪の短い、活発な子。写真とかは、全部消えてなくなってしまったんですけど」
女の子。今はいない彼女が思い浮かぶ。
「消えてなくなった、とは」
「消えたんです、全部。写真も動画も、記憶からも。今は俺以外、誰も覚えていないんですよ。俺の家の隣に住んでいて、幼なじみだったはずなんですけど」
笑いながら、眼だけは強く訴える。
逃がさない、と刃の切っ先の如く鋭さを増して、声なく叫んでいる。
「朝起きたら、消えていたんです。誰に聞いても知らないって。彼女の家もずっと空家だったって。そんなわけないのに」
「何も残っていないのならば、ここに来た理由は?」
愚問だとは思いながらも、男は問う。
少年の笑みが深くなり、眼の鋭さがさらに増した。
「彼女が来ると思ったから。分からなかったけれど、今、理解した」
男から視線を逸らし、境内を見回す。
鳥居、社、社務所。
目を細める。
「ずっと比べられてきて腹立たしかったけど、こういう事か。ならやりようはいくらでもある」
呟いて、男に視線を戻す。
彼女の居場所を、視線だけで問いただしている。
「探している本人かは分からないが、先日一人の娘は来た。主を迎えに行くと出てしまったが」
「誤魔化さないんですね。意外だな。同胞を隠すのかと思ったのに」
「あれが憎み厭うているわけでもなし。ならば匿う理由はない」
男の答えに、少年の纏う鋭さが僅かに和らぐ。
「そう。じゃあ、戻るまで待っていてもいいですか?」
「いつ戻るか分からない。もてなせるものもないが、それでもよいと言うならば」
形だけの許可を願う少年に、男は特に否を返さず。
「大丈夫です。少し待って、戻りそうになかったらまた追いかけます」
男の了承に、少年は笑って礼を述べた。
その言葉に、少年の執着に、ふと疑問が浮かぶ。
「何故、そこまで求める?」
彼女の話と、目の前の少年の差異。
確か、振られたのだと彼女は言っていなかっただろうか。
それを契機にすべてを思い出し、ここまで来たのだと彼女は話していたはずだ。
男の問いに、少年は眼を瞬いて。
「彼女が俺を見ない事が許せない。過去に恋い焦がれて今を見ない振りをするのが我慢ならない…それだけです」
少年の、獣のそれに似た眼を、かつて見たような気がした。
20241016 『鋭い眼差し』
10/16/2024, 11:39:49 PM