鶴づれ

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夜景


「行っちゃうの、お父さん」
「…ごめんな」
 答えになっていない言葉だけ残して、お父さんは家を出ていってしまった。お母さんと、お別れするんだって。
 二台ある車のうちの一台に乗り込んで、実家がある都会に移った。

 その瞬間から、お父さんのいない日常が始まった。
 ご飯は二人分になったし、お風呂に入る時間も早くなった。冷蔵庫からビールの缶が消え、ネットショッピングの段ボールも届かなくなった。

 見つけてしまった違和感を飲み込んで、飲み込んで、飲み込んで。そうして迎えた夏休み。
 我が家ではお盆の少し前に、おばあさんに会いに行くのが恒例だった。だから、今年もそうだよね。と、なんの引っ掛かりも持たずにそう思って、声に出しかけた。
 お母さん、今年はいつ神奈川に行くの、と。
 出しかけただけでよかった。だって、意味がないから。 
 お父さんの実家になんて、もう行けやしないから。

 ふと、頭に浮かんだのは夜景だった。
 夜景といっても、高いビルが作る観光地の夜景ではなくて、住宅街の明かりが作る暖かな夜景だ。
 私が住んでる田舎とは違って家も街頭も多くて、少し高い位置にあるおばあさんの家からは、綺麗に明かりが見えるのだ。
 都会の営みを象徴するようなこの小さな夜景が、私は好きだった。
 でも、それももう二度と見れない。
 出しかけた声と一緒に、この事実を飲み込んだ。

9/18/2023, 1:50:32 PM