空を見上げると、星がくすみ、夜空が明るむほど、光り輝く満月が顔を出していた。この日はとびきり、月が大きくて輝かしい夜だった。
街灯なんていらないくらい、道を明るく照らしている。けれどその分、影は一層濃さを増して、いつもより不気味に感じる。建物の奥はもっと暗くて、幽霊でも出てきそうだ。
暗闇に浮かぶ人魂や、ぬっと飛び出してくる青白い手。例えば、そのビルの隙間から……。建物の影に恐る恐る視線を移すと、ギラリ、二つの黄色い光がこちらを凝視した。
「本当にオバケが!?」
恐ろしくなって後退りすると、光も同じように、のろりのろりと近づいてくる。もう一歩退くと、背中に冷たいものを感じて振り返る。閉まりきったシャッターにサーッと顔が青くなっていくのがわかった。
(あっ、終わったんだ)
冥界へ向かう準備はできました。どうぞ、連れてってください。そう言わんばかりに「無」の状態をつくり、両手を合わせる。抵抗しない方が、痛くない。多分。そうして、ゆっくり数えて十秒ほど経ったのだが、なかなかお迎えが来ない。
変に思って片目ずつ瞼を上げてみると、深い影より真っ黒な生き物がちょこん、と腰を下ろしていた。ニャ〜。可愛らしい鳴き声まで。
「ね、猫?」
なんだ、ただの猫様か。さっきまでの「無」が遠い彼方に飛んでいった。それよりうるうるな瞳で見つめてくる猫を拝めるが先だ。ジリジリ寄ってみるがこの猫、逃げない。
(触れさせていただいても、いいってコト……!?)
驚かせないように、ゆっくり手を伸ばすと、猫はツンとした顔で腰を持ち上げてスルリ魔の手から逃れていく。どうやら、触ってもいいということではなかったらしい。
しかし猫は建物の影に差し掛かる辺りで、こちらを黄金色の瞳で見つめながら愛らしい鳴き声を聞かせた。尻尾がうねる。まるで「着いてこい」とでも言うように。
「着いてきて、ほしい、のかな?」
今度は追いかける方に回った。満月の夜の下、猫に着いていくって、なんだか不思議なことが起こりそうだ。淡い期待を胸に抱きながら、黒猫の後を追う。
建物の奥、左に曲がり、右に曲がり。何度か繰り返した後、ずーっと真っ直ぐ進んでいく。そろそろ引き返そう、と思っていたところに、仄明かりが向こうを照らす。
丁度、光と影の間にいた猫はこちらを一瞥した後、吸い込まれるようにして光の方へ歩いて行った。自分だけ影にいるのがなんだか怖くなって、境を超えて、向こう側へ渡る。
鋭い一閃が前を通り過ぎた。勢いで目を瞑り、瞼の外の激しい光が消えるのを確かめてから目を開く。キョロキョロ周りを見渡してみるけれど、猫の姿はもうどこにもなかった。
「誰……?」
代わりにあったのは、見慣れない森林と、満天の星空。そして、夜を映したようなローブで身を隠し、銀色の髪を揺らす、猫のような女だった。
──ああ、今日は頭の中が疑問符でいっぱいだ。
(遅れてすみませんでした。お待たせしました)
3/6/2025, 9:57:52 AM