例えば自転車の鍵の行方。それは永遠に見つからないと思わしめる、巨大な謎のひとつである。
それが埋もれているはずの一室は汚部屋と呼ばれるほどではない。そして物がなくなるほどではない、と思っていたかった。友人たちだって、「おっ! 案外きれいな部屋、では、ないな……」と濁すだけで汚いとは言わなかった。哀れんで、もしくは気を使って言わなかった場合はあるだろうが。
「ともかく、ゴミは混ざってないし!」
誰に聞かれたでもない言い訳と気合を兼ねて声を出す。汚いものは混ざってないのだ。汚部屋ではないし、触るのを躊躇うものはない。
最後に使ったのは数年前のリングロック用の小さな鍵なんて、一体いつになれば見つかるのか。不安でも取り掛からねばあるものも出てこないだろう。それから自転車のほこりを払ったり、メンテナンスもしなければならない。たぶん錆びてはいない。
過去の自分がキーホルダーか何かを付けていることを願いながら、まずは導線を確保しに動く。一歩出して踏み壊した洗濯バサミを怒りのままにゴミ箱に捨てて、それから服をたたみ、ダンボールを潰し、ぬいぐるみを愛でてから飾り、漫画を読んで、本棚に隙間を作り出し、片付けて、また小説を読み……。
さて。しまわれっぱなしで輝く鈍色鍵の居場所は、己の名誉のために記さないでおこう。
あれだ、つまりは神のみぞ知るってやつである。
7/4/2023, 10:35:33 AM