織川ゑトウ

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『並走ラナウェイ』

秋。
銀杏並木の坂道を自転車でシャーっと降りていく。
本当は、いつもは、走って降りていた並木道。
回る車輪がある記憶の扉を叩いた。

その日は、いつも通り放課後部活へ行き大会に向けての練習をするはずだった。
少し遅めの六時間目が終わり、部室で着替え、グラウンドにいつもの調子でタッタッタと赤のバトンを右手に走っていった。
しかし、都合悪く顧問の先生が急に出張ということになり練習は中止となった。
仕方なく部室で制服に着替え直し、他の部活の大会に向けての熱気を感じながら校舎を後にした。

燦々とも言えない太陽の熱が、僕から水分を奪い取る。
最近練習がうまくいっていないせいで、肌にまとわりつく髪がいつもより鬱陶しい。
ぶつくさ文句を垂らしながら、いつもの坂道へとたどり着く。
その瞬間、地平線からの斜陽が僕の魂をうねらせた。

「ねぇ、練習しなくていいの?」

ーまだ蝉時雨とまでいかない微妙な蝉の鳴き声が、僕の焦燥感を煽った。

いつもかけ降りるよりも速いスピードだったと思う。

事故に、あってしまった。

命に別状は無かったけれど、足を骨折して全治三ヶ月。
親は良かったと言ったけれど、僕は全然良くなかった。
何てったって大会は三ヶ月後、しかもその大会は全国大会だ。
練習しないで勝てるはずなどない鉄壁の壁を越えるためには、乗り越えるための階段が必要だ。
しかし、それが作れないと言うのなら終わったも同然だ。

自暴自棄になり、僕は練習を見学するどころか部活に来なくなった。
親には心配されたし顧問にはこっぴどく叱られた。
けれどももう、何も感じることは無かった。
部活に来ない日が続き大会まで一ヶ月を切ったある日のことだった。

放課後、あいつに呼ばれて体育館裏へ行った。

用意周到。品行方正。学業優秀。
まさに、何もかもにおけるライバルであったあいつは僕を見るなりこう放った。

「足掻けよ。もがけよ。
       _リレー選手なら、仲間にバトンを渡すその時まで全力で走りきれよ」

言われることは大体想像はついていた。
だからなのか、僕はそいつを羨ましく見つめるだけだった。
そんな僕の様子を伺い、少し恨めしい顔で考え今度はこう言った。

「お前は走る時の呼吸の使い方が下手だ。
肺活量はあるのにうまく使いこなせていない。」

「_お前、走ることよりも息を吸うことを意識しろ。呼吸に集中を向けるんだ。」

何を言っているのか分からず、戸惑って耳が言語化能力を失いかけた。
しばらくそこで考えこんでいたら、あいつは何処かへ行ってしまった。
その後家に帰り、ご飯を食べている時も、お風呂に入っている時も、
ずっとあいつの言葉を考え続けた。

「”呼吸に集中を向けるんだ”」

その言葉が頭の中をぐるぐると掻き乱し、夜も眠れないまま朝を迎えた。

翌日、学校に着いていつもと同じ時間を過ごし、欠伸のような放課後のチャイムが鳴る

「…部活、行ってみようかな」

何故かは分からないけれど、心が、体が、何かを示した。

本能のままに久しぶりの風が吹くグラウンドに出て、あいつがいるのを確認してベンチに座った。
先生も同じ陸上部の奴らも驚いた顔で話しかけてきたが、その声は僕の耳には一切届いていなかった。
僕はただ、ただあいつの呼吸に集中していた。
息の吸い方、吐き方、呼吸法、
一秒一秒逃さず聞いたあいつの声は、誰よりも潔く、粘り強く勝利を祈願していた。
あいつの肌からポタッと汗が垂れたと同時に僕はグラウンドを後にした。

何かが、分かった気がする。

それからは毎日、あいつが帰るまでグラウンドに残り続け体に呼吸を浸透させていった

_あれももう一ヶ月前のことか、時間は早い。
丁度今日治療が終わった僕は足の包帯を外し、自転車で通学した。
ざっと三ヶ月に起きた出来事を思いだし、明日に向かっての闘争心が湧きはじめる。
ふと、スマホの画面の確認する。

「カレンダー:◯月◯日.全国大会」

改めて大会の名前を目にし、心がより浮き立ってくる。
心が浮き立つまま、一ヶ月間のことをおさらいしながら眠りについた。

_大会、当日。
早起きし、会場へと歩を進める。
会場に着き、ついにかと心を落ち着かせる中一種の違和感。
今までに見たことない大勢の観客が熱狂で湧く中、あいつの声だけが聞こえなかった。
いつもの呼吸が、僕の耳には焼き付いている。忘れるはずがない。
各々の選手に挨拶をしながら、目だけでもとあいつを探す。
すると、ぽん、と肩を叩かれ瞬発的に体を後ろに向ける。

世界が、ひっくり返ったかと思った。

あいつの足が、いつもの強そうな足が、白い薄汚れたよく知る布に覆われていた。
僕の目が壊れたのかと思い何度も目を擦るが事実は揺るがない。
ただ、行き場の無くなった闘争心だけが今何をすべきかを模索する。
何をすれば、あいつと戦えるんだ。何をすれば、あいつを助けられるんだ。
何をすれば、あいつに感謝を伝えれるんだ。何をすれば、何をすれば…

「お前は、走るだけでいい」

ぶ暑い濃霧の中、あいつの声がいつもと変わらなく、いや、いつも以上に凛と響いた。
ふっとやる気しか感じられない笑みを漏らすあいつはまるで”俺は負けない”と言うライバルかのように強い後ろ姿を残し去っていった。

試合が始まるまでの時間が過ぎていく。

三十分、十五分、十分、五分、一分、一秒。

選手がぞろぞろとスタートラインに立ち、クラウチングスタートの姿勢をとる。
スッ、スッ、スッ…僕の順番が回ってきた。

「”呼吸に集中を向けるんだ”」

スッ

フゥー

スゥッ

力を込めて、息を吸った。



お題『力を込めて』

※ラナウェイ=逃げる。逃亡者。大勝、楽勝。

今回大分長い作品になりましたね。
ここまで読んで下さったお方々、誠に感謝申し上げます。






10/7/2023, 3:26:40 PM