無人

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鳥のようにと言ったなら、考えられるのは広い空で飛び回ることだろう。誰にも煩わされぬ自由の形として憧れられる象徴としてあげられる生物。だけれども、私は鳥のようにと聞いた時、鳥籠を連想する。品種改良された鮮やかな鳥になって、歌をうたって、差し出させれた手に甘えて生きる。可愛いだけだと飾り立てられてその真ん中で囀る鳥。その自由さの印象から、閉じ込めることに暗い独占欲を満たす鳥。
 単体で言うならば、私は猛禽が好きだ。捕食者、他を食らう野生で生きる鳥。その強い目に惹かれる。自らの力で生き抜ける鳥、強さというものへの賞賛がある。だが、美しさという点においては鳥籠に入った鳥に軍配が上がるのかもしれない。弱く、愛らしく、この手を離れたら死んでしまうだろうと容易に想像できる鳥。それなのに時たま、これこそが本来の姿だと言わんばかりに籠から飛び出し羽ばたく時がある。もし、このある種の自殺にも似た行為をしているときに窓を開け放したらどうなるのだろうと夢想する時がある。弱くて可哀想な鳥。この楽園を飛び出して、青空の下で自由になっても、きっと鷲や鷹のように誰かを食うなぞできぬだろうに、きっと飢えて死ぬだろうに。鳥籠に閉じ込めておかなければきっと死んでしまう鳥。弱い鳥。だが、その一瞬の足掻きと自由の象徴であるという名残があるからこそ、さらに鳥籠の中にいる鳥を美しく感じるのだろう。
まぁ、ならば私がこの鳥のように美しく生きればと問われたならば、死んでもごめんだと返すけれども。

8/22/2021, 1:05:33 AM