―祖母は気の強い人だった。
自分の芯を持っている人で、それをはっきりと口にする人だった。
幼い頃からその態度で接してくるものだから、僕は祖母が苦手だった。
父方の祖母で、年末とお盆は家族で祖母の家に泊まりに行っており、その時期になると背筋が凍るような感覚がしたのを今でも思い出す。
家では、怒られないように、目をつけられないように、細心の注意を払ってやり過ごしていた。
それでも祖母は僕の些細な過ちを見つけては、しつこく注意してくる。
両親は、そんな祖母を注意せず、僕の非を責める。
子供ながら、理不尽さを恨んでいた。
それでも、帰る時は必ず蜜柑だの林檎だの何かしらの果物を持たせてくれて、また来なよ。と頭を撫でるので、どうしても憎めなかった。
いつだったか、祖母の家に泊まっていた日の夜、祖母と両親が薄暗い電気の下で、ボソボソと話しているのを耳にしたことがある。
「アタシが死ぬときゃね、病気でも治療なんかすんじゃないよ。命の原理に反して生き長らえようとすんのなんか、ゴメンだからね。」
祖母が死の話をしているのを聞くのは、それが初めてだった。その時、両親がなんと答えたのかはもう覚えていない。だが、その言葉だけは今でも祖母最期と共に思い出すものであった。
祖母は、がんになった。僕が中学生になった頃には末期で、お見舞いに行くたび辛そうな顔を見るのが嫌だった。
そんなの、祖母でない気がした。
黄色いシミのある病院の壁は、祖母を闇に引っ張っていくようだった。
不意に、祖母が僕に話しかける。
「ねぇ、最期までちゃんと、面倒見てくれよ、?」
あの時の言葉とは正反対のことを言っていた。
戸惑って、答えられないでいると、
「あたしゃね、もうちょいと、アンタが育ってくんを見てたいのよ。そのくらいあの人も待ってくれるじゃろ。」
そう言って、辛そうながらも不敵な笑顔を見せてきた。
それほどまでに、祖母らしい表情はなかったと思う。
春を迎える前に、祖母は亡くなった。
今思うと、祖母は実は寂しかったんじゃないかと思えてくる。
祖父を亡くしからは、余生13年あまりを独りで生きてきた。
泊まりに行く度に僕にキツく当たるのは、祖母なりの愛情だったのかもしれない。
頑固で、弄れていて、不器用な、祖母の愛。
窓の外に降る雪を横目にそんなことを考えながら、僕は蜜柑をひとつほおばった。
―終わらせないで―
11/28/2023, 1:53:04 PM