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 北海道に輝く雪のマーク。とうとう今年もこの季節がやってきた。明日の朝の記録的寒さを予報する画面を見上げていたら、ガラガラッと勢いよく入口の引き戸が開いた。一直線に俺の隣の席に駆け込んできた上下黒の体には、ピンクのラインが入った頭が乗っている。
「ピンクかよっ!」
 思わず笑ってしまった。ワンシーズン続く戦いと、一般的な学生生活から離れることへの決意表明みたいなものだけど、今年はピンクか。
「似合うっしょ」
 鼻にシワを寄せてクシャリと笑う顔には目立つホクロが3つ。なんか星座みたいで気に入ってる。調子に乗せそうだから言わねーけど。
「この世界でこれほどピンクが似合うのは、お前かフラミンゴくらいだな」
 俺の憎まれ口にも、くくっと笑うマイカ。そうかそうか、ご機嫌か。
「おー、マイちゃん。カッコいい!」
 物音を聞きつけたオヤジが奥から顔を出す。マイカは染めたばかりのピンクを指でつまみ、得意げに宙に舞わせた。ふぅ、とカラーリングの匂い。
「食ってく?」
「うんっ!味噌!」
「はいよー!腹一杯食ってけ!」
 今は昼の休憩時間だけど、オヤジは快くマイカのために味噌ラーメンを作り始めた。雑談で盛り上がる2人。昔からこの2人はウマが合う。
「明日、出発前にまた来るよ。ママとパパも」
「おっけ。お待ちしてまーす!」
 俺はさっき、醤油ラーメンと焼き餃子を食ったところだったけど、オヤジは俺にまた焼き餃子を出してきた。こんなことしなくたって俺はもう逃げねーよ、という文句は飲み込み、おとなしく箸を割る。
「いただきます」
 マイカの前にも大きなラーメン丼が置かれる。まさかの大盛り。太らせたらまずいと焦った俺は、手を伸ばして子ども用の取り皿をゲットした。
「イェーイ。腹減ってたんだよね」
「えーっ」
 ムウッと頬を膨らませるマイカを無視して、新しい箸を割る。大盛り分の麺をきれいに取り除いて、フフンと笑ってみせた。成長期の中学生男子ですから。こんくらい余裕です。
「オリンピックでメダル取ったらさ、マイちゃんのサイン飾るから。ここ。空けて待ってるから。頑張ってよ」
俺達がいるカウンターの真上を指さしてオヤジは笑った。前は冗談として笑えたけど、今は少しの緊張感を伴うオリンピックという単語。まあ、まだまだ全然なんだけど。でも、全く可能性がないってわけじゃない。そんな立ち位置。
「オリンピックかー!」
 マイカは色紙1枚分ほど空けられた場所を見上げて照れくさそうに笑った。オリンピックより欲しいタイトルがあることも、マイカは結果を出すより今が楽しいだけなんだってことも、オヤジのような一般人にはなかなか分からないところなんだと思う。だけど素直に期待に応えようとするマイカは、やっぱりトップ選手にのし上がる素質がある。
「アキは、初戦決めた?」
 麺をすすりながらだから、マイカの言葉は不明瞭だった。それを理由に聞こえないふりをしても良かったけど、俺は麺を飲み下してから地名を告げた。
「いいね!ファイティン!」
 ファイティンってなんなんだ。フッと吹き出す。マイカと違って俺が出るのは国内のローカル大会みたいなもので、勝ったところで世界に繋がるわけでもなんでもない。だけど、昨シーズン1つも滑らなかった中学生の復帰戦なんか、どこだっていい。それに、俺は確実にワクワクしてる。ただ滑れるということに。
 滑らなくなった理由を俺は誰にも言わなかった。整理がつかなくて俺自身にも正しく理解できない思いを、不用意に言葉にすることで決めつけたくなかったから。両親や、小さい頃から俺を連れ回してくれてたマイカのオヤジ、お世話になった大人の人達、それから仲間、先輩。いろんな言葉を貰った。俺が滑れるように、あるいは滑らない人生を選べるように。皆が気遣ってくれてた。ありがたかったけど、どれもが重くて苦しくて、受け止めきれずフラフラと逃げて漂ってた俺に、マイカはたった1言、
「冬になったら、きっと」
 ってクシャリと笑った。昨シーズン、マイカが俺のことで掛けた言葉はそれだけ。実際には冬が過ぎて春が来て、夏が来ちゃったんだけど。冬に向けた準備が始まる夏、俺はまた動き出した。なんでなのか、やっぱり上手く言えないんだけど。
 マイカは何も聞かなかった。ただ一緒にトレーニングに励み、いつもいつも冬の話をしていた。
「冬になったら」
 マイカの口から何度聞いただろう。その言葉に支えられて俺は今日までやってこれた。
 冬になったら、輝く雪の上を颯爽と滑るマイカが見れる。俺はその姿を目に焼き付けながら、あの硬い雪にエッジを立てるんだ。そして、鳥肌が立つほど高く、青い空に向かって飛ぶんだ。
「……なに?」
 ふふふ、と声を上げた俺をマイカが不思議そうに見た。
「内緒」
 ごまかしたら、マイカはまたムッと膨れた。
「気になるっての!なに、教えて」
 珍しく食い下がるマイカに、俺はクシャリと笑って答えた。
「冬になったら、な」

《冬になったら》

11/17/2024, 2:38:48 PM