Noir

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「ごめんね」
私の母は物事が悪い方向に向かっていくと決まって
「ごめんね」と口にした。
たとえ、自分が悪くなくとも……。
その言葉に本来の意味は込められていなくとも、
物事をおさめるために使っていたその言葉は無意識に母の心の中に塵積もっていたのだと今なら思う。そして、その言葉は自分が悪くない立場のときほど、自分の中で無意識に不の言葉と変換されて、塵積もっていく。

その結果私の母は「他者承認欲求」になってしまった。なにかあるたびに「私は必要?」「私、役に立ててる?」と聞いてくるようになった。
そして、適当にあしらってしまったあかつきには、
「私は必要なかったの?私はあなた達にとって邪魔だったってこと?」
「じゃあ○んだほうがいいわよね」
と包丁を自分の首に当てるようになった。
だから、なるべくいつも頑張って返事をしている。
母をこのようにしてしまったのは自分達の失態なんだから…と言い聞かせて……。

でも、あのときはなるべく時短で済ませたかった。
なんてったってあの日は母の日だったからだ。
私の家は母の日をしっかりする家で、私も小さい頃から手紙を書いていた。母が他者承認欲求になってからもなんとか合間をぬって毎年書いていた。
その手紙を渡すとどんなときの母もとても喜んでくれて、その顔を見ると私も嬉しくなるほどだった。

だからあの日はなるべく話かけないでほしかった。
だが、そんな思いが届くはずもなく、なんならついもより多く話かけてきたほどだ。
始めの方はしっかり対応していたが、だんだん時間が迫ってきて、あまり母の方に意識が回らずつい
軽くあしらってしまった。
(よしっ!できた!)「お母さん!出来たよ!」
そう言い振り向いたときはもう手遅れで、私の母は自分の首に包丁を当てようとしていた。
「私、邪魔になってるんだね……」
私は必死で弁解をし、やめるように頼んだ。
それと同時に私がしてしまった事への重大さを身をもって実感した。
なんとか止めないと、自分がしてしまったんだ、自分でなんとかしないと………。
そんな膨大な思いを体は処理出来なくて、ついに私は、泣き出してしまった。
そんなこともお構い無しにどんどん包丁を首に当ててゆく母。
それを見ているのが本当に苦しくて、悔しくて、
どんな手をつかってでも止めたかった。
私が撒いてしまった種なのだから。
だから私は、自分の片手を母と包丁の間に入れ、もう片手で手紙 を持った。そして泣きながら言った。
「ねぇ、○ないで!!手紙、今年も書いたよ。」
その声はあまりにも細くて、とても震えていた。
私の目から溢れる涙は、手紙の上にぽたぽたとおちていて、そのところの色は濃くなっていて、水玉模様のようだった。
床には赤い液体がぽたぽたと音をたてて水溜まりをつくっていた。
母はやっと、正気に戻ったようで、包丁を手放し、膝から崩れおちて言った。
「ごめんね。こんな母でごめんなね。」
ここ数年は聞いていなかった口癖になんだか、昔にもどったような気がして、私の涙腺はもっと緩んだ。「私もごめんなさい。」

fin

5/30/2024, 8:47:43 AM