お否さま

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【泣かないで】

僕は自惚れていた。
遠い夕暮れを背に、彼女を前にして。
当然だと思ってたんだ。
だって、小さい頃からご飯もお風呂も遊ぶのだって。何をするのも彼女と一緒で。イタズラする時だって、いつも隣にいる彼女は少しだけ困った顔で、僕が怪我した時にすぐに手当できるように着いてきてくれた。君に色んなもの見せる度、自分は彼女を新しい世界に連れて行ける素晴らしい人間だと錯覚できた。

そう、全て錯覚だった。

君が、仕方ないと眉を下げて笑う顔も。
君が、自分の事のように泣きじゃくって手当してくれることも。
君の方が泣いているくせに、「もう泣かないで」って無理やり平気そうな顔するのも。

僕が、彼女にとって特別だからそうしてくれると、勝手にそう思ってた。

きっかけはなんてことの無い、いつもと同じ、イタズラを思いついたなんでもない日。特段いい事がおきそうな予感が身を包んで、ポカポカと体が暖かかった。

「よーし、見とけよ」

目の前の彼女に向かってなんて言ったんだっけか。いつも使ってる最初の言葉しか思い出せない。それぐらい、大事じゃないことは錆びている。
だが振り返ったのは覚えてる。
そして。

次の瞬間、意識の外から飛んできたなにかが彼女の顔面にぶち当たった。

ぱっ、と赤い花が咲く。火花と紅い血で描かれたものが。
脳内フィルムで静止したその瞬間。
あとから聞けば、近くで遊んでいたガキどもが投げた爆竹が当たったらしい。

その後、どうしたのか覚えてないが、きっと親を呼びに行ったんだろう。馬鹿みたいに泣き叫んで。けれど、それはもう既に、この時点で終わっていたんだ。助けを呼ぼうにも間に合っていなかった。

死んじゃいない。

いっそ、そうなればよかった。


「ゆーくん?」
「お、まえ、その目……」

病室についた俺が見たのは固く閉ざされた目と、醜く爛れたまぶた。
彼女の目は火花を最後に光を映すことは無くなった。

「……ぅあ゛あ゛あ゛」
「大丈夫だよ、だから泣かないで」

取りすがったベッドから、最も助けてもらいたいはずの人が手をさし伸ばしてくる。俺が掴めない手を。
そして俺の世界からは色が消えた。彼女の白以外は世界が黒く見えてしまうようになった。


それから、俺は彼女の為に病室へ足繁く通うようになった。時にはひとりで、時にはクラスのやつと。
俺以外にも彼女の友達とか、通ってるやつは居たが俺ほど通っているやつはいなかった。数えてる自分が醜いことなんて分かっていた。
彼女には色んな話をした。外で何をしたか、どこへ行ったか、どんなものを見たか。彼女が好きなはずの話をした。だって、俺だけが彼女の光の代わりができるのだから。その筈なのだから。俺が1番彼女をわかっているんだから。光を失った瞬間も俺しか見てなくて、その辛さも共有できるのだから。

彼女の光を奪ったのが俺であれば彼女の中から消えることは無かったのに、と馬鹿な考えに身を委ねたくなってしまう。

いつしか、彼女は俺の前で笑わなくなっていった。わかんなかったからますます必死になった。
俺より少ないけど、定期的に通っていたヤツにも相談してやった。味方は多い方がいい。彼女はそいつの前では笑っていた。俺が外での話を10語るより、彼が君の考えたことに耳を傾ける方が良く微笑んでいた。指摘すると耳を赤くして、まぁ、とでも言うように手のひらを口に当てていた。それを見て彼が声を上げて笑い、君がそれにつられてクスクス笑い、俺も声を出さずに微笑んだ。

そのうち俺は病室に通うのを辞めた。

心が軋んでいく。ダメになったのだと理解した。


階段を一段一段と数えて、あなたの病室に向かう。
意味の無いことだ。いつもと同じ段数に決まっている。意味の無いことがしたい。病室があまりにも遠いから。願いは虚しく、いつの間にか足はあなたの病室の前にあった。

扉を開けた先で、夕焼けが茜く燃えている。病室で静かに何かを待つ影は珍しく1人で。邪魔を、してはいけない、そんな気が起こる。こちらを向いてない、今ならまだ引き返せる。
だからこそここで、茜色に焼き切らなければならないと改めて強く思い込んだ。
思い、込んだ。

「久しぶり」

掠れた声はあなたに聞かせていなかったからか、あなたに聞かれてしまうからか。だが、みっともなくてもそれは音の役割を果たす。

「久しぶり、ね」

彼女の顔には影がかかっていて、目元が見えない。
だからこそ昔のように事が運ぶような目眩がした。

「大事なことを伝えに来たんだ」
「私も、あなたに大事なことを教えたい」

両者の行動は一緒で。

「俺と付き合え」
「あの人のことが好きなの」

思いだけが決定的に違っていた。

いいや、きっと思いだけじゃない。

「あの人は、目が見えない私に無理に外を見る必要は無いって。想像するだけしか出来ないのに何もかも正確じゃない世界は辛いだろうからって、私に寄り添ってくれたの。あなたのお話も楽しかった、本当に。
でも、私には彼の在り方のそばに居たいと思ってしまったの」

赤い、あかい。
顔は影で見えない。ただ夕日を背に見える色は、あかい。あかくて切なくてあまいかげ。

「だから、あなたとは付き合えない。あの人と、付き合いたい」

思い違いも聞き違いもいっそ清々しいほど叩き割られる。笑うしか、道がなかった。

「あなたのことは友達として、好きだったわ。
これからもあなたの幸せを願ってる。」
「……なんだよ、それ」
「だから、もう泣かないで」

その言葉は、昔のようでもあり。
今が見えない彼女のものでもあった。

「何も、見えない癖に」

決定的に、全てが終わる音がした。俺は心臓をもぎ取りたい想いで、命からがらに病室から飛び出す。直前と同じように、口元は笑み。そして声すら抑えられなくなっていく。夕焼けと雨に見つめられながら、狂ったように俺しかいないように。笑って。笑って。笑い続けて、走り続けて。転んで。それでも離れたくて。血が出ても直す人はいないのに。俺はあなたのために笑い続けた。あなたのためと自分に偽って、壊れないように大事に大事になげやりに。


泣くこともできないんだよ、ばか。

夕焼けの底で、病室の雨が聞こえた。

11/30/2024, 11:40:08 AM