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私は佐々木先生に何度涙を見せちゃうんだろう。

一度目は浅尾先生への片想いを、浅尾先生から佐々木先生が力になってくれるよ、と暗に終止符を打たれたときだった。
嗚咽を漏らさないようにひとり、職場の休憩室で泣いていたのに、佐々木先生に見つかって、「ひとりで泣かないで」と胸に包まれて、涙が止まらなくなった。
浅尾先生は既婚者で、いつまでも好きでい続けちゃいけなかったのに、それすらも佐々木先生は許してくれる。佐々木先生は私のことが好きなのに、私は浅尾先生のことが好きで佐々木先生を傷つけることを言ってるのに、それでも「泣きなさい」って泣かせてくれる。
なんて心の美しい人なんだろう。
優しさにホッとして、佐々木先生を悲しませていることが申し訳なくて、失恋も哀しくて、私は佐々木先生の胸に縋って泣いた。

二度目の涙は、佐々木先生が帰郷する日が近づいて、別れを実感したときだった。
浅尾先生は年度末に病院を退職して、年度初めに私は外科病棟から小児科病棟に配属され、佐々木先生と医師と看護師として毎日職場で関わるようになった。
佐々木先生と知り合うきっかけになった、外科小児科混合病棟で働いたときよりも、小児科単独病棟は看護師の責任が重い。
だけど私の拙い看護でも佐々木先生は「よく頑張ってるね」「できることが増えたね」と励ましてくれて、看護に必要なことを熱心に教えてくれる。
そんな日々が、浅尾先生への恋を忘れさせて、少しずつでも佐々木先生の手助けができるようにと私を頑張らせた。
佐々木先生は私のことが好きだと職場でオープンにしていて、職場の人たちは気づくと私と佐々木先生を二人きりにしていることがあった。
そんなとき、佐々木先生は私が好きなことをそっと軽く伝えてきた。頬の熱さで頬が赤らんでいるのを自覚してる私に、佐々木先生の穏やかな笑い声が聞こえる。恥ずかしくて顔を見れなくて、でもきっと先生は嬉しそうにしてる。
そんな日々は恥ずかしいのに楽しくて。すごく楽しくて。職場へ向かう足取りが軽くなる。
そうして佐々木先生の退職が間近に迫って、もうこんなやり取りができないんだなって思ったとき、佐々木先生に夕食に誘われた。

夕食を食べ終わり駅まで歩いていると、佐々木先生に手を握られて私も握り返す。驚いた顔に笑うと佐々木先生も笑った。でもこんな日々はもう終わってしまう。
「寂しい?」と優しく問われ、「寂しい」と答えて涙する。
泣かないでおこうって思っていたのに、私が佐々木先生の前で涙を堪えることなんてやっぱり無理だった。
そんな私に先生は「新幹線で1時間半。近いよね」と笑ってくれる。
「寂しいときは寂しいと言って。きっと僕も寂しいから」と背中に手を回して伝えてくれる。
会いに来るよって言う先生に、私も会いに行きたいと心が求めていることに気づいた。
「私も会いに行っても良いですか?」
「良い。良いよ。会いに来て」
切羽詰まったような声で、背中に回した腕に力が加わり強く抱きしめられる。
優しさに、暖かさに、安堵に、それなのに切なくて、ごちゃ混ぜの感情が私の涙腺を壊す。
泣き止んだ後、グスッと鼻を鳴らしたら、優しい微笑みで私の手をもう一度繋いでくれたから、私も握り返してちょっとだけ笑った。

マンション前に先生は車で送ってくれた。
今夜の佐々木先生との二人きりの時間が終わってしまうのが惜しくて帰れないでいると、「思い出を作ろうか」と優しく唇にキスを落とされた。驚いていると、目元にもふわっと唇が触れる。
先生は私のことを好きなのを知っているけど、今までは泣いてる私を慰めるために抱きしめられただけで。好きって軽く伝えられたことは何度もあるけど、でも、キスしちゃうほど私のことを好き、だったなんて。
「帰らないの?僕の部屋に連れてっちゃうよ」
冗談か本気かわからないよ。真剣味を帯びているような気もするし、冗談を言われている気もするし、瞳も声もどっちかわからないよ。
私は車を降りて、先生の笑顔に会釈する。

部屋に入り、姿見の自分の唇に視線が行きそっと触れる。
先生のキスは優しかった。
決して先生の気持ちを押し付けられただけじゃなくて、寂しくないように、私が佐々木先生のことを思い出せるように思い出を作ってくれたんだと思う。
先生はいつも私に優しさを与えてばかりで。
…キス、優しかったの。
嫌じゃなかった。感触の残ってる今も、胸がドキドキ熱くなってる。
今、気づいた。
「好きです」と鏡に向かって声に出さずに言葉にすると、涙がこぼれ落ちる。
好きって気持ちも言葉も大切すぎて、涙に向かわせる。
先生の心がまっすぐで美しいから、私は泣けちゃいます。

三度目は、今夜だった。
佐々木先生が1ヶ月ぶりに小児科学会のために東京へ来ることになり、今夜一緒にホテルディナーを食べることになっていた。
綺麗目なワンピースにコートを着て、先生からプレゼントされた手袋を身につける。上品で暖かくて重宝して、何より先生の心のこもったものだから毎日付けてる。私に似合っていると思ってくれたら良いな。
学会が行われているホテルのロビーで先生と待ち合わせ、先生が宿泊するホテルへ向かう。
そこの展望レストランが今日のディナーを食べる場所だから。

先生と手を繋ぎイルミネーション輝く街路樹そばのベンチへ腰をかける。
寂しくなかったか問われ、「会いたかった」と告げる。
「先生からのキスを思い出して、好きだって言われてるみたいで寂しくなかったです」と。
「僕に会えたら、何をして欲しかった?」
優しく問われる。私の願いを叶えようとしてくれてるのがわかって、好き、大好きって感情が膨れ上がる。
私は静かに首を振って、佐々木先生を涙を溜めながら微笑んで見上げた。
「好きって伝えたかったです。佐々木先生が大好きって」
言葉の途中で先生に背中を引き寄せられ強く抱きしめられる。
ポロポロと涙がこぼれ落ちる。
先生が、「ありがとう」と呟いた声は涙に濡れてる。
少し震えているような気がして、私も背中に手を回して抱きしめ返す。
好きって気持ちが大きくなって、佐々木先生を包んであげたくて。
泣かせてごめんなさいって申し訳なく思う気持ちと、泣かないように我慢しつつ泣いてしまうほど喜んでくれる素直さに優しい気持ちになる。
告白して良かった。喜んでもらえて良かった。
安堵が、私の頬を濡らす。
先生が大きく息をついて、私の頭をよしよしと撫でた。優しい手。安心する手。
ひっついてわかる胸の鼓動の大きさ、速さ。全部が愛しい。
顔を上げると照れ臭そうに笑ってる。
でも瞳は潤んでいて、涙が光ってる。
私はバッグからハンカチを取り出して先生に渡した。先生はごめん、ありがとうと目元を拭った。
「もらい泣きしちゃった」
「もらい泣きですか?」
「うん、もらい泣き」
私の頬の涙を先生がハンカチを押し当て拭ってくれる。
先生の頭上や背後からイルミネーションの光が届き、輪郭を柔らかに見せる。
「綺麗」
「ん?ああ、イルミネーション綺麗だよね。僕は宮島さんを輝かせて綺麗だと思うけど」
「私じゃなくって、佐々木先生です」
「僕?」
心底心外だと不思議そうな表情をしているのに笑った。
「佐々木先生はいつでも綺麗ですよ。
容姿も、心の美しさも。
私だけじゃなくて、きっと、佐々木先生に関わる人、皆んなが感じることですよ」
「それ、そっくりそのまま宮島さんに返したいな。
僕はいつも、君の涙を美しいと見惚れていたから」
「いつも?」
「うん。切ない涙、寂しがる涙、喜びの涙、緊張の涙。そこには君の純粋な気持ちが溢れ出してて、」
佐々木先生はそこで一旦言葉を切った。
私は胸を手で押さえて、止まない動悸を感じてる。
「僕は君の涙を見るたびに、恋心が強くなってた」

そっと、口元に唇が近づく。
「危なかったね。今、車の中ならキスしてたよ」
素早く頬にキスをしかけられて、私はどうすれば良いの?熱くなる頬を押さえることしかできなくて。
「ご飯食べに行こうか。神戸牛、絶対に美味しいよ」
「はい」

イルミネーションに照らされる佐々木先生に手を差し出され、指を絡めて恋人繋ぎをする。
コートの袖が触れ合って、都会の夜空に白い息が溶け合った。





美しい

6/11/2025, 9:59:10 AM