すゞめ

Open App

 温かい麦茶とコーヒーを入れたマグカップを、リビングのローテーブルに置いたとき、1枚の帯紙が目に入る。
 ソファで本を読んでいる彼女の隣に座って、その帯を手に取った。

「1年後に世界が滅ぶ、ですか……」

 コーヒー片手に帯紙に目を通す。
 地球滅亡までの限られた時間のなかで育むラブストーリーらしい。
 キャッチーな煽り文と有名著者のコメントで本の紹介がされていた。

「ん? あぁ、これ? 読む?」

 顔を上げた彼女が、しおりも挟まずに本を閉じる。
 ためらいもなく差し出してくるから少し焦った。

「読み終えてからでいいですよ?」
「この本、もう5周くらいしてるからもう大丈夫」

 は? 5周……?
 俺のラブレターは1周しかしてくれないクセに?

 イラっとはしたものの、久しぶりに俺でも理解できそうな著書だったので素直に受け取った。
 パラパラと軽くページをめくって、読みやすそうな文章であることを確認する。

「世界が終わってしまうなら、あなたならなにをして過ごしますか?」

 両手でマグカップを包み込み、揺蕩う湯気を小さな口で吹き冷ます彼女に声をかけた。

「んー? 『世界』と『終わる』の定義による」

 視線だけこちらに寄越した彼女は、そう言ってマグカップに唇をつけた。
 読み終えたばかりだからか、俺の会話につき合ってくれるらしい。
 麦茶をひと口含んだあと、考え込むように視線をマグカップに落とした。

「あと『終わり方』にもよって変わるかもしれない」
「終わり方、ですか」
「世界がぶっ飛ぶのが1時間後なのか、明日なのか、1年後なのかで変わるでしょ?」
「それは確かに」

 開いていた本を静かに閉じて彼女に向き直る。

「では、この本になぞらえて……。『1年後にでかい隕石が地球にぶつかって、一瞬で人類は滅亡してしまう』としたら、あなたはどう過ごしますか?」
「どうかな……インフラや経済含めて世界がいつも通り回ってるなら、半年くらいはいつも通り過ごしていると思うけど……、でも待って!?」

 堅実な彼女らしい答えを言いかけたところで、なにかを閃いたのか目と声の色が好奇に変わった。

「1年かけて世界中の体育館に突っ込んで界隈荒らして暴れ回るのも楽しそうかもしれないっ!」
「……」

 なんか響きがオタクっぽくなるから界隈言うな。

 俺のお気持ちなど知ったことではないと言わんばかりに、彼女は目を輝かせながら「地球最後の日の過ごし方」について思いを馳せていく。

「いや、むしろ貯めた金で研究開発チームみたいなの作って、隕石を逸らすミサイルかなんか作って地球を救うために奔走したい! そしてチヤホヤされまくって承認欲求満たしたい!!」

 彼女にはやってみたいことがたくさんあるらしく、笑顔ではしゃぎまくる。
 かわいいから別にいいけど、なんで「俺と一緒に過ごしたい♡」という答えがいつまで経っても出てこないのだ。

「まー、でも、なんだかんだ最後の1週間くらいはふたりでいたいかなー」
「俺と過ごす期間、短くないですか?」

 おかしい。
 愛が足りなかったのだろうか。

 やっと欲しい言葉が出てきたと思ったら、1年のうちの1週間しか彼女と過ごす時間をもらえないとか悲しすぎる。

「一緒に起きて、一緒にご飯食べて、一緒に出かけて、一緒にいつも通りの日常を過ごしたい」

 不満を訴えたらわざとらしく流された。
 今日の彼女は少し意地悪をしたい気分らしい。

 俺は負けじと彼女にひっついて甘えてみた。

「ですから。俺と過ごす期間、短くないですか?」
「……やりたいこといっぱいあるもん」

 もう一度同じセリフでアピールしてみたら、物理的な距離感が縮まったせいかちょっとだけ照れた。

 ツンとしてからのちょいデレの彼女は今日もかわいい。

「ついていきますね?」
「それ……。ヤダって言ったらやめてくれるヤツ?」
「やめないヤツですね」

 ギュウギュウ抱きしめていたら、絆された彼女がグリグリと俺の胸におでこをくっつけてきた。

「んで? 聞いてきたからにはそっちもなんかあるんじゃないの?」
「俺ですか?」

 俺のやりたいことなんてひとつしかない。
 眼鏡のブリッジを指で持ち上げた。

「あり得ないくらい大量にゴムを買って、あなたを軟禁して一年中セックスしたいです」
「最ッッ低!!!!」
「いっっってえ!!!!」

 真面目に答えたのに思いっきり足の甲を踏んづけられた。

「え、地球滅亡するってわかっているのに避妊しないつもりですか? 身ごもっても育てられないのにかわいそうじゃないですか。可能性はできるだけ低くするべきだと愚見します」
「そういうこと言ってねえよっ!! この性欲モンスターがっ!!」

 踏まれた足の甲を撫でながら反論すると、彼女はソファに置いていたクッションを勢いよく投げつける。
 プリプリと盛大に照れギレした彼女は、寝室に逃げ込んでしまった。

 どうやらやりすぎたらしい。
 しかし、閉じこもる場所は本当に寝室でいいのだろうか。

 すぐに追いかけるべきか否か、俺は極限の選択を迫られてしまった。


『もしも世界が終わるなら』

9/19/2025, 6:34:25 AM