雨露にる

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かみさまへ
きょうのおそなえものです。
たくあんとおにぎりです。
おいしかったのでおすそわけです。


「――そこな娘」

ぱてぱてと石段を降りていく途中で呼び止められ、幼子は振り返った。
真っ赤で大きな鳥居の向こうに誰かが立っている。長い金の髪、つり上がった金の目、豪華な着物。けれどなによりも幼子の興味を引いたのは、その頭上にぴんと立った一対の獣の耳と、背中からふわふわと覗く尻尾だった。
見たことのない、不思議なひとだ。……ひと?
ぽかんと見上げる幼子の無垢な視線を受けて、そのひとは口元にやわらかく弧を描く。

「あのたくあんとおにぎりは、そなたが置いていったものだろう」

それは確かに先ほど、幼子が今日のお供えものとして、いつものように手紙と一緒に置いたものだった。それがどうしたのだろう。
……もしかして、怒られるのだろうか。
ふと気づき、幼子はわずかに肩をすぼめた。神主さまにはいいよと言われているし、悪いことをした覚えもないけれど、なにか「そそう」をしたのかもしれない。――この子はまた、粗相をして。母親の呆れたような声が脳裏で反射する。
気まずげに縮こまる幼子にそのひとは首をかしげて、それから「ああ、」と困ったような声をこぼした。

「ああ、ああ……怖がらせるつもりはなかったのじゃが。すまぬ」
「ち、ちがう。こわくない。きれい」
「きれい? ……ふふ、そうか。ならばなぜそのような顔をするのだ、娘よ」

おいでおいでと白い手がたおやかに手招く。幼子はおそるおそるそのひとの顔をうかがった。怒りの色は見えない。怒られるわけではないのだろうか、と思いながら、幼子は素直に手招かれるまま、降りたばかりの石段をぱてぱてとまた上った。鳥居をくぐり、そのひとの前に立つ。ふわりと甘やかな香りがただよい、幼子は思わずそっと息を吸い込んだ。芳しく上品な香り。幼子にとっては初めて知るものだった。

「娘よ。そなたが供えたあれは、そなたの昼餉ではないのか?」
「うん」
「いかん、いかん。昼餉はちゃんと食わねば。そなたはこんなに小さく、こんなに幼いのだから、なおさらだ」
「でも、おいしかったから、おきつねさまにもたべてほしかったの。だからおきつねさまにもいっこ」

「そうか」とそのひとは笑った。お月さまのような目を細めて、心の底からうれしそうに笑うものだから、幼子にもそのひとがうれしいのだということがよくわかった。頭上の耳がぴるぴる揺れて、尻尾がふわふわ、揺れるのが見えた。

「そなたはやさしいな。優しく、よい子だ。だがな、やはり、ちゃんと昼餉は食べねばならぬよ――」

だからこれは返そう。ぽん、と手の上に、幼子が供えたはずのおにぎりとたくあんが乗せられた。でも、と言おうと顔を上げた幼子は、ふと動きを止めた。そのひとの耳と尻尾がになんだか見覚えがあるなと思ったからだ。そう、いつもこの神社で見る、――。

「……おきつねさま?」

ぽとんと幼子が落とした声に、そのひとはただ笑みを返した。それが答えだった。

「手紙だけは我がもらおう」

次の瞬間、ひゅるんと風が吹いて、思わず幼子は目を閉じた。甘やかな香りが濃くなり、頭を撫でられたような感触がして、けれど目を開けるとそこには誰もおらず、境内にはただ、おにぎりとたくあんを持った幼子だけが立っているのだった。


翌日、幼子はやはりいつものようにお供えものを用意した。今日は一等美しく咲いていた野花だ。そしていつものように紙を用意し、書くものを手に持ち、いつもよりももっと丁寧に、かみさまへ、と書いた。


(お題:神様へ)

4/14/2023, 4:13:35 PM