真岡 入雲

Open App

【お題:始まりはいつも 20241020】

「ゴメンね、和美」

そう言って、涙を流すのは真壁 琴子、私の幼馴染で私の彼氏を寝取った女。
誰からも好かれる容姿の彼女は、子供の頃から自分の武器を熟知していた。
自分の両親も私の親も上手に騙して、人から好かれる優しい可愛い女の子を演じている。
私は彼女とは違い不器用だった。
特に可愛らしくもない普通の見た目は、隣に彼女が並ぶことで普通以下になる。
人よりも平坦な感情は、タダでさえ無愛想な顔を無表情にさせた。
そして、それは今も変わらない。

「はぁ、こんな時でもその顔かよ」

悪態をついた男は、ガシガシと頭を搔いている。
上半身、いや全身何も身に纏っていない男女が2人、同じベッドにいれば何をして居たのかなんて聞くだけ野暮だ。
玄関に見知った靴があったから、大方予測はついていた。
ただ 、ほんの少し、1%にも満たない可能性に掛けたのだが、無駄だったようだ。
彼が私に不満を露わにするようになったのは、ふた月前位からだっただろうか。
街中で琴子と出会った、その後からだ。
それまでは特に何も問題はなかったように思う。
上司の紹介で顔合わせをして、お互い特に付き合っている相手も好きな相手もいなかったため、交際を始めた。
週末に予定があれば顔を合わせ、映画やショッピング、家などで同じ時間を過ごす。
特に燃えるような恋や愛ではなく、ただ緩やかに優しく流れる時間を心地よいと感じていたのだが。

結局、この人も同じだったか。

そう思わずには居られない。
私は無言でネックレスを外しテーブルの上に置く。次にピアスも外して同じようにテーブルに置いた。

「他のプレゼントで貰ったものも後で送ります。私の物は捨てて下さい。それでは、今日までありがとうございました」

特に感情が揺れることなく、淡々と告げる。
きっとこれも、両親が言う『可愛げがない』の1つなのだろう。
去り際に、洗面所の歯ブラシをゴミ箱に投げ入れた。
そのまま2人を振り返ることなく、彼の部屋を後にし駅へと向かう。

「細田部長になんて言おう⋯⋯」

入社してからずっと世話になってきた人だ。
仕事には厳しいが人当たりがよく、残業が続いていると甘いものをこっそり差し入れしてくれたりもする。
彼も、私に合う取引先の社員がいると細田部長に紹介されたのだった。
時折、その後はどうかとか、何かあれば遠慮なく言ってくれとか、何かと気にかけてくれている。
週明けに別れた事を報告するべきだろうが、別れた理由を幼馴染に寝取られました、とは言えない。
彼氏に浮気されて別れた事より、上司に何と伝えるかで悩んでいるとか普通では無いだろう。
だから、浮気されるんだな、と思い至り乾いた笑いが口を出た。

小さい頃はこんなではなかったように思う。
人並みに泣いて笑って、そんな生活を送っていたように記憶している。
それが変わったのは、隣に琴子一家が越してきてからだ。
同い年の琴子とは幼稚園が一緒になった。
琴子はすぐに幼稚園のアイドルになった。
園児はもちろん、先生方や保護者まで、可愛らしい笑顔と仕草で皆を虜にした。
よく家に遊びに来ていた琴子は、私の両親をも虜にし、やがて両親は琴子と私を比較するようになった。
初めの頃は私はよくわかっていなかった。
ただ、ことある毎に琴子ちゃんは、琴子ちゃんなら、と言われ続ければ子供でもわかる。
両親が自分を琴子と比べれば比べる分だけ、笑顔が消えて行った。
琴子は私と2人きりになると人が変わった。
笑うことはほとんど無くて、いつも文句を言われていたように思う。
やがて、友達だった子達はみんな琴子の傍に行き、私は1人になった。
それからは私に友達ができる度に、友達は琴子に奪われた。

始まりはいつも決まっている。

『へぇ、いいなぁ』

両手を胸の高さで組んで、首を左に少し傾け、渾身の上目遣い。
少し潤んだ眼に、ほんのちょっぴり開いた口元、異性はこれでイチコロだし、大人も可愛さに目元が緩む。
同性でも半分くらいは心を許してしまう。
あざといと思った人たちも、その後、私が琴子を虐めているという、琴子本人からの申告により私の元を離れて行く。
初めの頃は否定もしたし、本当のことをわかってもらおうと努力もしたけれども、琴子の方が1枚も2枚もうわ手だった。
否定すれば否定するほど、私は悪者になり、皆から無視されるようになった。
誰にも、両親にさえ信じてもらえない、そんな環境で笑うことなど私にはできなかった。
ただ、できるだけ琴子から離れて暮らすこと、それだけが自分を守れる術だった。

周りから何を言われても構わずに、勉強に力を入れた。
高校、大学と琴子が入れない学力の高い学校に通った。
それでも、琴子から完全に逃れることは出来なくて、付き合った人はことごとく琴子に取られた。


「なるほど。⋯⋯それは申し訳なかった」
「いいえ、細田部長のせいではないので」

結局色々と悩んだ結果、上司である細田部長には正直にありのまま話すことにした。
週明けの月曜の夜、部長行きつけのお店でこうして向かい合って食事をしている。
個室を用意してくれたのは、部長の気遣いだろう。

「いや、真面目で誠実な男だと思っていたんだがな。あちらの専務もそう言っていたし⋯⋯。本当に申し訳なかった」
「いいえ、きっと私に魅力がなかっただけです」

苦笑いして、注がれた日本酒を一口飲む。
鼻に抜けるフルーティーな香りが料理とよく合う。
日本酒の美味しさを教えてくれたのは細田部長だ。

「ふむ、実はな、ある人が君と一緒に仕事をしたいと言ってきていたんだ」
「ある人?」
「あぁ、ただ君に彼を紹介した手前、なかなか言い出せなくてな」
「⋯⋯あの、それはどういう意味でしょう?」
「ん?あ、違うぞ、結婚相手にとかそういうのではなく、あちらは純粋に君の仕事の腕を見込んで言ってきただけでな。君のキャリアを考えれば悪くない、寧ろいい話だと私は思う。それに今の話を聞いて、是非とも行くべきだと私は思うよ」
「部長、話が見えません」
「⋯⋯ジョシュアが、是非君をと言ってきている」

ジョシュア⋯⋯、3ヶ月前に来た部長のお客様で、社の案内係兼通訳としてお相手させて貰った。
滞在期間は1週間で、とても気さくな方だったけれど、アメリカの会社の方だわ。

「⋯⋯それは、あちらに行くということですか?」
「あぁ、そうなる。日本の、君の周りの環境はあまり良いものではないように思える。それならばいっその事、日本を捨ててみてはどうだろうか。向こうは実力社会だ、日本より厳しいかもしれない。それでも、私は君にはその方が幸せになれるように思えるんだ」
「そのお話、お受けします」
「そうか、わかった。ジョシュアには私から連絡を入れよう。⋯⋯寂しくなるな」
「気が早すぎますよ、部長」



全てを捨てて、身ひとつで私は人生をやり直している。
もっと早くに行動するべきだったと少し後悔したけれど、あの時後押ししてくれた部長には本当に感謝している。
今ならわかる。
琴子はああいう風にしか生きられない人間なんだと。
そしてあの頃の私も、ああいう風にしか生きられなかった。
今度は、誰かに決められることなく、誰かに邪魔されることなく、自分で決めた道を、人生を生きると、そう決めた。


━━━━━━━━━
(´-ι_-`) 長く書きたくなってしまうのよね。短くすると消化不良⋯⋯( ・᷄ὢ・᷅ )

10/21/2024, 7:40:26 AM