夕陽の残り灯の消えゆく中。帰り道を逸る足を路地裏へと外らせたのは何故だったのか。何かが見えたわけではなく、何が聴こえたわけでもなかった。そこが近道である筈もなし。
路地裏の先からは灯火が漏れている。次第に、笑いさざめく声にお囃子が混じり合い、耳に届く。
めでたきものは、是れに。
無数の提灯。甘い飴に、香ばしい醤油や油の匂いが鼻を擽った。
はて、縁日であろうか。この近くに神社など在っただろうか。傾げた首の、その真上を何かが飛び越えて行った。ふわりと翻る艶やかな袖、転がる鈴の音。それは童女であった。
童女はこちらの視線に気付き、にこりと笑んだ。
「めでたきものは、是れに」
猫のように走り去る後ろ姿。その腰には、白銀のふさふさとした長い尾が揺れている。
「お稲荷さんは如何かね」
屋台から声がした。手持ちが無いと断ろうとして言葉に詰まったのは、店主が狐の面をしていたからだ。
「お代は要らないよ。ここの店は皆そうさ。今宵はめでたい『お祭り』さ。めでたきものは、是れに」
店主は手早く稲荷寿司の包み拵える。有無を言わさず持たせられた。
礼を述べ、ふと店主の頭の上で動いたものに目を遣ると、面の隙間から丸い狸のような耳が覗いていた。見渡せば、どの出店の店主も狐の面を着けている。
祭囃子に手拍子。行き交う者たちは唄うように挨拶を交わす。見慣れた格好をした者も居れば、そうでない者も居た。豪奢な簪を挿した者。舶来の衣を纏った者。何かしら獣の尾のようなものを着けた者も。均しく、まばゆい提灯明かりに浮かび上がる。御芝居のように。
めでたきものは、是れに。
7/29/2023, 8:25:11 AM