藍間

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「愛があれば何でもできると思ってたんです」
 ベッドの上でうなだれた彼女は、そう吐露して縮こまった。手櫛で整えた髪からも、その目からも、明らかに疲れが見て取れる。
「残業だって平気でした。会いにいくのにお金がかかるから、そのためだと思って頑張っていました。それに仕事に励むことで、少しでも相応しい自分でいたかっとんです」
「でもそれで倒れたらねぇ」
 よくある話だと、私は椅子に腰掛けたまま頷いてみせた。そうして手にしたボードにさらりとだけ、彼女のことを書き記す。
 異を唱えられない様子の彼女は、ますます身をすくませた。
 働きすぎて倒れる人は、このご時世ではそう珍しくもない。生活のため、誰かのために、もしくは断れなくて無理をしてしまう人は、最後には心身の悲鳴を残してこうやってここにやってくるのだ。
「はい。でも推していられるのは今しかないと思って」
 さらに続けられたのは、今流行りの『推し』の話だった。ああ、これも増えたと私は相槌を打つ。
 アイドル、アニメのキャラクターなどなど。推しを作るのは健康に良いと言われているけれど、何事も限界というものはある。
「推せる体調であることも大事でしょう」
「はい」
「愛も大事だけどね。元気がないとできないこともたくさんあるの」
 なんだか説教くさくなってしまうのは、相手が若いからだろうか。こんな年でこんな場所にやってきて欲しくはない。そんな思いが滲み出てしまっているのかもしれない。
「さあ、わかったら早く現世に戻りなさい」
 そうして私は促した。
 反省の色が見られるなら、もう一度機会を与える。それが私の仕事だ。間違ってこの世界に迷い込んでしまった人を送り返すのもだ。この場合はどちらでもないけど、まあそこはこの仕事の裁量である。
「……はい!」
 顔を上げた彼女の目に光が宿る。その双眸は「いいんですか?」と語っていた。ここがあの世とこの世のあわいだと知って、彼女は半分諦めていたのだろう。
 頷いた私は立ち上がると、手にしたボードへと書き込む。迷入者、一名。そうして送還にチェックを入れる。
「さあ早く。その扉から出れば戻れるから。誰にも見つからないようにね」
 ——私も残業はしたくないから。その一言を飲み込んで、私は笑顔を作った。

5/16/2023, 10:58:57 AM