いつもの彼の住むアパートのいつも通りの彼の部屋。
整頓されていない部屋に2つだけある座布団のうちのひとつに座って見馴れない彼の背中を眺めていた。
私は大学3回生の冬に同じサークルの1学年上の先輩から告白されて付き合い出した。
なんであのタイミングで告白してきたのか聞いたら、卒業前に後悔したくなかったと言われた。
学生時代に寮生活をしていた彼は、隣の市にある中小企業に就職して一人暮らしを始めた。
いつもと変わらない部屋なのに、居心地が悪い。
昨日のLINEからしておかしいのだ。
いつもなら彼の家に行くと伝えると『はいよー』か『用事ある』の二択なのに、やたらと到着時間を訊いてきた。
彼は時計とは無縁の人間だと思っていたから、怪しいと思ってはぐらかした。
さっきだってそうだ。
アパートに到着して彼の部屋のチャイムを鳴らしたら、ドタドタと物音がしてからタンクトップにボクサーブリーフ姿の彼が出てきた。
これはいつも通りなのだが。
すると、彼はちょっと待っててと言い残してすぐに扉を閉めた。
怪しい。
2、3分して彼は戻ってきた。
ワイシャツにデニムという出で立ちで現れた彼は、視線が合わずそわそわとした様子だ。
「ねえ、どうしたの?」
ここ1年は彼がワイシャツを着た姿なんて見た記憶がない。
最後に見たのは、休日に急に彼の職場から電話がかかってきた時だと思う。
あの日はスラックスを摺り上げながら出ていった彼が戻るのを彼の部屋を掃除しながら待っていたが、2時間経ってから『ごめん、遅くなる』とだけ連絡があり、呆れて返信もせずに帰った。
そんなことを思い出していると、部屋に上がるように促されて今に至る。
「ねえ、どうしたの?」
私はティーバッグが入ったままの見馴れないカップから立つ湯気を見ながら尋ねた。
「んー?ちょっと待ってて」
彼は慌てたように机の引き出しを上から順に開けて漁っている。
「はぁ」
つい溜め息が口からこぼれたが、彼はそれにも気付かない様子だ。
いつもそうだった。
彼はいつもだらけてて、そうじゃない時はいつも何かに精一杯。
なんだか子供を持つ母親を疑似体験しているみたいで。
嫌気が差す時もあるが、結局彼を憎むことができないし、いつだって目が離せないのだ。
「あ!」
彼の声に引き戻されて声の方を向くと、彼は目を爛々とさせてこちらを見ていた。
「え?どうしたの?」
「誕生日おめでとう!」
目の前に差し出された彼の手には深緑の小箱が乗っていた。
中に入っていたのはシンプルだけど、優しい雰囲気を持ったエメラルドのネックレスだった。
「あ、りがとう」
「どういたしまして!いつもありがとう。愛してるよ」
あまりに驚いていると、不安そうな彼の目が私の顔を覗き込んできた。
「どうしたの?」
「誕生日、来月だよ」
「え?あ!どうしよう。レストラン予約しちゃってる!」
落ち着きのない様子の彼を見て、問題はそこなのかと呆れてしまった。
「予約した場所と時間は?とりあえず着替えてくるからあなたもデニムはやめてよ」
「わかった!ええっと、時間は……何時だっけ?ちょっと待って!場所はあの、一昨年行ったホテルの所で―――」
見えない何かに悪戦苦闘してる彼を見ながら、手の中にあるネックレスに合う服を想像したのだった。
5/11/2023, 1:03:18 PM