永遠を信じることがどれほど幸せなことだったかを大人になった今感じる。
今できてることは、時間に身をまかせるだけ。
それは大いなる運命に身を委ねているのではなく、ただただ不毛な人生に置かれた駒を時間で無理やり押し進めてるだけ。
その駒はとても無機質だ。
時間がなければもしかしたら止まったままかもしれない。
永遠を信じていたあの頃はきっと希望があったんだろう。時間も空間も味方してくれていた気さえする。
そんな希望に溢れた世界をなぜか永遠のように感じた。
現実が残酷なんだろうか、それとも希望や永遠という理想が残酷なんだろうか。
あの頃も今も同じ世界を生きてるはずなのに。
きっと無機質な駒の中に捨てきれない理想があるのだろう。
そんな捨てきれない理想を持ったまま永遠に生きる駒は残酷だ。
時間も空間もその駒を置きざりにしていく。
しかし、そんな駒が朽ち果てることもなくそこにあるのは、もしかしたらその捨てきれぬ理想があったからなのかもしれない。
人は一番大切なものを胸に生きていく。
絶望の中に見る希望を奇跡と呼ぶなら、その奇跡を遠目で信じよう。
動かぬ駒も、無表情な駒もいつか本当の永遠を見つけるのを待っているはずだから。
11/1/2024, 10:01:20 PM