にえ

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お題『ゆずの香り』

「今夜は東の大地風に、湯船に柚子を浮かべてみました」
 ベッドに三角座りをして本を読んでいた主様の顔がパッと俺の方に向いた。
「冬至って昨日じゃなかった?」
 昨日の夕飯はかぼちゃのポタージュにパンプキンパイだった。

 そう。
 昨日の夕飯のパンプキンパイには騒動があった。
 パイ屋で働いている主様の婚約者となった青年は、大きなパンプキンパイをふたつも抱えてやってきて、パイをロノに渡すと温め直して食べて欲しい旨を伝えた。
 出迎えた主様が、青年の頭や肩に降り積もっている雪を甲斐甲斐しく、嬉しそうに払い落としていく。青年もまたその歓迎を嬉しそうに受け入れながら、なのに何かを言いたげに手袋を外した左手の人差し指でポリポリと頬を掻いた。
 いつもならここで軽くハグを交わすところだけれど、青年は目を泳がせると突然主様に頭を下げた。
「ごめん!***、仕事をクビになった!」
「……え?」
 青年は足元に視線を落とすと震える声を絞り出す。
「店長の奴、悪魔執事に理解があるって言ってたくせに……俺が悪魔執事の女主と結婚するって言ったら、それだけはやめてくれって、ぐすっ、言うことが聞けないなら辞めて出ていけって」
 それはあからさまな悪魔執事への差別だった。けれど、その矛先が一般市民に向くとは……。
「ねぇ、だったら一緒にここで暮らさない?」
 実は主様が婚約してから、屋敷はこの話で持ちきりだった。
 主様はこの屋敷にも天使狩りにも必要な存在だ。青年とふたりきりで街で暮らしていると天使の急襲に俺たち執事も、そして主様も対応できない。それに、知能天使が主様を狙ったりしたら一大事なんてものでは済まない。
『あーあ、主様の婚約者さんも、ここに住んでくれたらいいのに』
 そうしょぼくれたムーの言ったことが、今、脚光を浴びようとしていた。
「両親のことは弟妹たちに頼むから大丈夫ですが、本当に俺はここのお世話になってもいいんですか?」
 彼のその疑問にベリアンさんは、
「執事たちの間で少し話し合い……というか調整が必要になるとは思いますが、きっと上手くいきますよ」
とやさしく微笑んだ。

 青年が帰った後、ベリアンさんは寂しそうに、
「理解することと受け入れること。このふたつはまったく違うものだということは何度も経験してきましたが……酷ですね」
そう呟いた。
「あ、そうです! フェネスくん、柚子はまだありますか?」
 ベリアンさんはいいことを思いついたとばかりに俺に声をかけたのだけど、俺は些末だけど大事なことを思い出す。
「あっ……! 今夜は柚子風呂にするつもりで柚子を買ってきたのに、すっかり忘れていました……」
「ふふっ、まあいいではありませんか。今夜は柚子紅茶で温まりましょう。柚子は逃げませんから、柚子風呂は明日にしませんか?」
 そういった経緯もあって、今夜もこの屋敷では冬至なのだった。
(俺の失敗をさりげなくカバーしてくださるなんて……うぅ、ベリアンさんにはやっぱり敵わないな)

12/22/2024, 11:52:36 AM