今日のテーマ
《澄んだ瞳》
彼女の瞳はとても澄んでいて、その瞳で見つめられると、僕は何だか落ち着かない気分になってしまう。
胸の奥にくすぶる下心をすべて見透かされてしまいそうで、うしろめたく感じてしまうからかもしれない。
見透かされるだけならまだしも、軽蔑されたり、ましてや嫌われたりしたら――そう思うだけで身が竦む。
恋愛は惚れた方が負けだというけど、それは本当にその通りだと思う。
そうして僕は今日もまた、彼女の澄んだ瞳に見据えられ、内心で冷や汗をかきながら表情を取り繕う。
内なる欲望を看破されることがないように。
「なにか、隠し事してない?」
「してないよ」
「じゃあ、どうして最近全然目を合わせてくれないの?」
上目遣いでじぃっと見つめられ、つい反射的に目を逸らしてしまう。
心の奥底まで見通されてしまうのではないかと思うくらい、その眼差しには力がある。
拗ねたように微かに寄せられた眉が、何かを我慢するように噛み締められた唇が、そして何より、どんな些細なことも見逃すまいと言わんばかりにまっすぐこちらを見つめるその瞳が、まるで僕を責めているのかようだ。
いや、事実、責めているのだろう。
何を隠しているのだと。
明かせないような後ろ暗いことがあるのかと。
言葉こそないものの、彼女の表情が雄弁にそれを物語っている。
だけど、だからといって「君のことが好きすぎて不埒な妄想が止まらないんだ」なんて素直に白状するのも憚られる。
つきあい始めてまだ半月も経っていないのだ。
がっついてると呆れられたくないし、もっと言うならそういう欲望が目当てでつきあい始めたのかなんて絶対に思われたくない。
せめてもう少し僕達の関係を深めてから、段階を追って明らかにしていきたいのに。
どう言い訳したものかと必死で言葉を探す僕を見て、彼女の表情がだんだん曇っていく。
拗ねたり責めたりという変化ではない、まるで花が萎れていくかのように、眉は下がり、視線は足元を彷徨い、唇からは小さなため息が零れ落ちる。
「……もしかして、飽きちゃった?」
「へ?」
「わたし、見た目も地味だし、話も面白くないし、男女交際とか初めてだから男の子が何考えてるのか察してあげられないし」
「え、いや、ちょっと待って」
「怒らせるようなことしちゃってても気づけないし、他の女の子に目移りされても引き止められるような魅力もないし」
「待って、ちょっと待って!」
突然ネガティブモード全開でつらつらと上げ連ねていく彼女の目にはいつのまにか大粒の涙が盛り上がっていた。
体の脇で握りしめられた拳が小さく震えてるのに気がついて、僕は慌ててその言葉を遮ると、居ても立ってもいられずにその身をぎゅっと抱き締めた。
カッターシャツの胸元が彼女の涙を吸い取って湿り気を帯びてくるけど、そんなこと気にしてなんかいられない。
宥めるように背中を撫でながら、何度も「ごめん」と謝った。
「ごめん、ごめんね。不安にさせたかったわけじゃないんだ」
「じゃあ、どうして……」
「その……つい、えっちなこと考えちゃってて、それを気づかれたくなくて。軽蔑されるかなって、怖くて」
破れかぶれで白状する。
だって、彼女を泣かせてまで隠しておくようなことじゃない。
軽蔑されるかもしれないって不安はあるけど、たぶんいつかは通る道なんだし、いつまでも隠しておけることでもない。
できることならもっとタイミングを見て、いい雰囲気の時に明かして、あわよくばそのまま――なんて展望も抱いてたけど、そもそも時間が経ったとしてもきっと僕にそんな器用な真似ができるはずもなかっただろう。
彼女は僕の胸元に顔を埋めたまま微かに身じろぎしたけど、脱兎の如く逃げられたりすることはなかった。
見下ろす耳たぶがほんのり赤くなってるから、意味が伝わらなかったということもないだろう。
ちゃんと理解した上で、逃げもせず、僕に抱き締められたままでいてくれることから、恐れてたようにドン引かれたりはしなかったらしい。
ただ、少しばかり肩に力が入ってることから、怖がらせてしまってるかもしれないなとは思う。
「我ながらがっついててみっともないとは思うけど、ちょっとそういうこと考えちゃ売ってだけで別に今すぐ無理にどうこうしようとかいうわけじゃないから……」
そう、何も今すぐどうこうしようというわけじゃないんだ。
したくないわけじゃないけど。
でもどうせならムードのある演出はしたいじゃないか。お互い初めてなわけだし。
「……」
意識が斜めにずれたことで、僕は気づいちゃいけないことに気づいてしまう。
抱き締めた体が思ってた以上に柔らかいとか、お互い薄着だから密着するとこんなにも体のラインが分かっちゃうんだよなとか、そういうのは今は考えちゃ駄目なやつだ。
ますます彼女と目を合わせられなくなりそうだと思いながら、僕は必死に「煩悩退散」と自分に言い聞かせ、ここからどうやって軌道修正するか頭を悩ませるのだった。
7/31/2023, 8:57:56 AM