K作

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題 優しくしないで

「つまりはこういうことなんです。お前はそのレモネードを飲み終わったら私を殺します。また会おうね。Congratulation。」
バチくんは、珍しいこともあるものだなァ、とストローをかじりながら目の前の謎の生物を見つめた。
ここは地元のカフェである。と、言っても、夢の中なので、客も居なければ店員もいない、真昼の太陽だけが店内を照らし、床は所々腐っている。現実とはいろいろ違うカフェだ。
さて、目の前の謎の生物だが⋯⋯ こいつは変幻自在なので、姿の特定は難しい。口が出るのは喋る時だけで、目が出るのはものを見る時だけである。おおよそヒトの形を求める何かである。
バチくんはこのヘドロのような生物のことを、アイちゃんと呼んでいた。似つかわしくない名前だが、そう呼び始めたのには理由がある。
初めてアイちゃんが夢に現れたのは、バチくんがイジメていたクラスメイトがお空に飛んでった次の日である。
バチくんは金魚鉢の中にいた。しかもここは、友達の家のようだった。窓際の棚に置かれた金魚鉢では、ピラニアが旋回し、バチくんを齧っては離れ、齧っては離れしていた。ピラニアは黒いホースのようなものを伝って、上からドぽ、ドぽ、と降ってきているようだったが⋯⋯ ホースを辿った先には、黒いドロドロとしたヘドロのようなものが溜まっていた。これがアイちゃんだ。アイちゃんは目をカタツムリのようにして、バチくんの血が煙草の煙のように広がるのを見ていた。
「⋯⋯ !、⋯⋯ !!」
バチくんは必死にもがいてガラスを叩いた。もう何でもいいから助けて欲しかった。
この夢の悪質なのは、感覚があるところである。だからバチくんは、夢とわかっていても激痛に悶えた。少しずつ失っていく体を知って、もう殺してくれ、と本気で願った。
ここでやっと、アイちゃんが動いた。びちゃっ!と金魚鉢を覆うように広がり、大量の口でガラスをガリガリした。すると金魚鉢は割れ、ざぱぁ!と赤とかピラニアとかが流れ出た。バチくんは棚から落ちるギリギリのところで止まった。
ヘドロは、からだの色んなところを失って死んだバチくんに近づいて、一言、
「良かったね"ぇ」
と、口を(おそらく)腹から出して言った。
つまり、バチくんを殺したのはこのバケモノで、助けたのもこのバケモノである。
こんな夢がもう8年も続いた。いつも、何かに喰われる夢だった。
バチくんは、自分を殺すも助くもこのヘドロであり、なんだか神様みたいだなって、いつも夢から醒めてから思うのだ。だから慈愛の意味を込めて、夢のバケモノをアイちゃんと呼んだ。
「いきなりどうしたのさ。しかも今日は随分穏やかな夢なんだね」
「いつもはお前が望むからそうしてるだけだよん」
「今日は?」
「卒業式」
アイちゃんは手っぽいものを3本出して、パーっとやってみせた。
「もう痛い夢は見ないってこと?ていうか、あんなの望んでないよ」
「いいや、望んでるね。喜んでた」
「俺Mじゃないんだけど」
バチくんは眉をしかめてジューっとレモネードを啜った。あと半分くらいある。
アイちゃんは中指でバチくんを指さして、ここで問題です、と言った。
「ここで問題です。そのレモネード、何でできてると思いますか?ハイ、バチくん」
「え、レモンと炭酸⋯⋯ ?」
「まったく違うよ。ヒントは昨日の夜、シンクの中」
「⋯⋯ エ、エ⋯⋯ マジで?俺の?」
「ウィ。昨日バチくんが零したゲェを集めてレモネードにしました。お味はどーお?」
「エ、普通に美味いわ」
バチくんは、この夢に感覚が伴うことをよくよく知っていた。だからレモネードはおいしい、たとえ夢であっても。
「つまりはそういうことなんです。お前は自分の苦しみがおいしいんです。可哀想にね」
「⋯⋯ 」
バチくんは寝る前になると、いつもゲェを吐いていた。夜のエネルギーはスサマジイので、バチくんを深いところまで追いつめて、「あれ?俺なんで今日生きてたんだろ。許されないのに」って気持ちにさせるのだ。
「ダメだ」
バチくんはグラスを握りしめて下を向いてしまった。
「俺、ぉ、アイちゃんにまで優しくされたら、生きていけない⋯⋯」
「それが望みだろう」
「違う」
「辛かったね」
「ちがう」
バチくんはとうとう泣き出してしまった。
「ちょっとからかっただけなんだ。あいつも笑ってたし、みんなも面白いって言ってた」
「へぇ」
「俺、誰にも責められなかった、俺が子供だったから。」
「ふーん」
「うぇ、ゲホゲホ⋯⋯ でも、嫌われるのも怖いんだ。普通に生きたいのに、いざ、少しでも幸せを感じると、あいつを思い出すんだ⋯⋯ 」
「自業自得ですね」
「うん⋯⋯ 」
アイちゃんは、たくさんの手っぽいものをひょっとこのようにうにょうにょさせた。そのうちの一つがグラスを掴んで、「マァ飲めよ」とバチくんのほうにぐっと押した。残りは4分の1くらいある。
バチくんは10分くらいグズグズしていた。それをアイちゃんは、たくさんの手の平に出した目で見つめていた。
「お前はもう生きてちゃいけないよ」
「うん、」
「卒業式だからね、私もお前も」
「アイちゃんも辛かった?」
「イヤ私はお前だし⋯⋯ 知らん」
「そっか、」
バチくんは最後のレモネードをジューゴゴゴ、と飲み干した。そのままグラスをしっかり握って、アイちゃんの頭っぽいところに振り下ろした。

5/3/2023, 12:13:18 PM