郡司

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透明

透き通るもの
包み隠しのない

さて、全ての人の考えや状況が包み隠しなく見えるようになったら、たぶん世は大混乱になるだろう。ただ、魂が伏せるものは誰にも覗けない。

卑近なところで、私を取り巻く日常にある状況の全てを、私の認識からはどう見えているかを正直かつ誠実に言葉で表せば、大抵の人から私は「キチガイ認定」されるだろう。なんならその勢いで「統合失調症」の診断書をゲットし、生活保護認定を受けるのも簡単かもしれない。何故なら、私に見えているありようは、「かくあれかし」という「人間社会内の都合テンプレート」からは大きく逸脱していると見なされるであろうから。なので私は、周囲社会内に漂う「バイアス」に調子を合わせる。まだこの現実領域に、無難な側面を保って居続ける必要があるからだ。

「透明であること、透明性確保」が良い働きをするものごとと、そうでないものごとがある。何かの映画で、子どもが叫んでいた。「みんな見たいものしか見ないから!」と。確かにそうだと思う。でも、「見えない、感じない」ことはまた、心を護るはたらきもあるのだ。ちょうど良さは、それぞれだから。

透明の効用はいくつもある。

5/22/2024, 7:02:16 AM