何気ないふり…は、得意かもしれない。
痛くても、悲しくても、寂しくても、或いは怒っていても、人間関係は進み変わる可能性を一瞬一瞬に内包していると考えるから、とりあえず保留しながら表現の是非と時期の適切を見る癖がついている。私はコミュニケーション能力は高くない、たぶん。
親愛感にしても同様なのだ。育った境遇の刷り込みや経験の記憶にまだバカみたいな刺があって、大好きになればなるほど遠慮が出ることに、中年になってから気づいた。「胸に痛い想い」をするかもしれない怖さを、越えて行けるならきっと最高の勇者だろう。
相手が迷惑に感じるのではないかと思う頭の奥で、生きて行くのが難しくなるほど痛みたくないと恐れ、「今はまだ涙の海で溺死するわけにはいかない」などと、最高の勇者になれない言い訳の理屈を組み立てる。
何気ないふりになりそうな表現まで出力を絞って、何かが壊れたりしないように。
3/31/2024, 12:44:23 AM