白玖

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[恋物語]

恋の定義は人によってあやふやなものなのだ。例えば、恋愛対象が人間以外でも恋だと言う人もいれば認めない人間もいるだろう。だが当人が恋だと言ってしまえばその想いは『恋』になりえる。恋というものはまるで善悪のように、個人の尺度で簡単に測れてしまう酷く曖昧なものでしかない。

「……だから、貴方の行為も恋だと?」
ああ。私の想いは紛れもなく恋なのだ。こんなにも胸が高鳴り、心が弾み、愛しさが込み上げる。これを恋と言わずして一体何と言えばいいのだろうか。この想いを他に言い表す術があるのならどうか私に教えてはくれまいか。

「……狂気」
狂喜?狂喜か、ああ悪くない。悪くないとも。私はこんなにも喜びに満ち溢れているのだから。気の狂いそうな程に長い時間私はきみたちに会えなかった、その苦しみを耐えた末にようやく見出した喜びだ。素晴らしい名前を付けてくれた、感謝しよう。これは恋で、狂喜で、哀しみで、愛で、救いだ。私からきみたちへ送るこの世で最も尊い愛の形だ。

「……救いですか?」
そうだ、愛であり救いでもある。きみは生まれ落ちた瞬間に幼子が泣くという話を知っているだろうか。原典はシェイクスピアの戯曲リア王の一節が元となっているのだ。『人間は泣きながらこの世に生まれてくる。阿呆ばかりの世に生まれたことを悲しんでな』とね。真理を兼ね備えた美しい言葉だと思わないか?賢いきみなら私の言いたいことは理解しただろう。これは絶望ばかりの世界から救い出す私からの慈悲なのだ。

「では、何故『恋』と呼ぶのですか?」
…………………………。
「『慈悲』や『救い』というのは利他的な感情です。その点『恋』という感情は利己的なものでしょう」
恋という感情が利己的だという認識も個人の認識の一つに過ぎないだろう。私にとって『恋』という感情は『救い出す』きみたちに捧げる『愛』の形なのだよ。

「貴方は先程『胸が高鳴り心が弾み』と言った。今行っている行為に貴方自身の喜びを見出していることを自ら証明したのでは?」
……成る程、成る程そうか。私はいつからか救いではなく利己的な欲望の為にこうしていると、きみはそう言いたいのか。ああ、言われるまで気付かなかったな。確かに私はこの行為自体に己自身の喜びを見出してしまっているようだ。ありがとう。きみとの会話はとても為になったとも。どうかきみに感謝の念を捧げさせてくれ。ああ、きみとの対話の幕が閉じてしまうのが心の底から名残惜しく感じてしまう。私はこんなにもきみとの対話に心弾ませていたのかと愚かにも終幕が近付き気付いてしまうだなんて、きみも愚かだと思うだろう?

「いいえ。愚かだとは思いません」
これがきみたちの定義する『本当の恋』なのだろうかと言ったら笑うかい?

「笑いません、貴方が先程仰ったように恋というのは目に見えない曖昧なものですから」
では、きみを惜しむこの想いを私は『恋』と呼ぼう。愛し子よ、きみに救いの光が降り注がんことを。


貴方がどれほど正当化しようともこの行為は犯罪でしかない。
他者の生を侮辱し否定し踏み躙る行為に他ならない。
この物語の結末に待つのは片や悲劇で片や歪んだ恋物語の一頁に過ぎないのだから、これ以上語ることなどありはしない。
私は審判を待つように目を閉じる。
最後に見たものは殺人犯には到底見えない貴方の美しい微笑みだった。

5/18/2023, 1:20:42 PM