大きな西洋風の館を想像する。二階建ての本館には幾つもの部屋が並んでいる。
そのうちの一つ、五番と書かれた部屋に入ってみよう。中に踏み入ってみると、壁の四面が扉の位置を除いて収納棚になっている。想像上の物の多さに眩惑されることなく、試しに一つ抽斗を開けてみよう。中から出て来たのはノートや鉛筆だ。
あなたがお探しの品はこれではありませんね――目隠しをした状態で指示通り想像を巡らせていた私へ訊ねたのは、わざわざ往診に来てくれた記憶術師の男だ。日本では、というより今や世界においてもほとんど生き残っていない記憶術の専門家として、伝統ある(らしい)シェンケリウスの流脈を継ぐと自称する、些か胡散臭い見た目の彼は、穏やかな声色で指示を続けた。
次の抽斗を開けると、そのまた次の抽斗を開ける。中から現れるのはどこかに見覚えのある玩具やガラクタばかりで、私の想像の中ではいずれも曖昧な輪郭で、床へ落とすと俄に液状化して消え失せた。
私の探している品は、確かに私の記憶の中にこびりついて消えないのにも関わらず、今こうしてその在り処を求めると何処にも見つからないのである。
諦めて次の部屋へ行こうとした瞬間だった。隅の方にあった抽斗がようやくそれらしき物が出て来たのである。それは一個の古びた鍵で、私がそのことを記憶術師の彼に告げると、その鍵の合う部屋を探すよう言われた。
私には心当たりがあった。いよいよ想像力を強く働かせると、急いで館を出た。そして、建物の裏手へ回ると、やはりそこに目的の場所があった。それは小さな小屋であった。
私は今にも崩れそうな小屋へ駆け寄ると、入り口に付けられていた南京錠を開けた。小屋に近づいた時から聞こえていた啜り泣く声――その涙の主が、そこには蹲っていた。泣き腫らした幼き日の私の瞳が、私を見上げた。
それではいきますよ――いつの間にか、記憶術師が私の背後に立っている。振り返る間もなく、指を鳴らす音が響いた。すると、風が吹き始めた。次第に勢いを増す風に、私は慌てて記憶術師にすがり付くと「やめてくれ。やはり忘れたくない」と叫んだ。
私は目隠しを外して、辺りを見回した。誰も居ない。それに、目に見える風景はたった今まで想像の中で見ていたものに酷似していた。
――、小屋の外から私を呼ぶ声がする。それは紛れもなく母の声だった。私は興奮と緊張がない交ぜになった心を落ち着かせるように、ゆっくりと扉を開けた。そこには、眩い陽射しの下、私の手を引いて歩いていく母の姿があった。
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忘れられない、いつまでも。
5/9/2023, 5:38:34 PM