「あっ」
力を込めると潰れてしまう。
僕よりずっと小さい虫のように。
「ごめんね」
一言謝ってそれで終わり。
手についた虫の死骸を払う。
何事も無いように。
無かったように。
残酷だろう。
残酷なんだ。
でも僕はそんな事すら忘れる。
毎日何匹の蟻を踏んだのだろう。
毎日何匹の命を奪ったのだろう。
僕や、家族や友達の死しか興味が無い。
何匹殺していようが気にも止まらない。
僕にとってそれは生きている玩具。
道具でしか無い。
暇つぶし。
そんな常識が変わったのは授業での事。
花を見に行った。
つまらない。
様子を観察するより蟻をいじっていたほうがはるかに楽しい。
目の前を通る蟻の軍団から一匹を捕まえる。
いじっているうちに蟻の足が取れた。
「うわっ」
足を払い落とす。
蟻が逃げ出して手を這っていく。
何処かぎこちなくてついには転ぶ。
逃げた事に怒った僕は手を振り上げる。
同時に痛みが走った。
蟻に噛まれたのだ。
急いで振り払って手を見つめる。
足元で逃げようとする蟻を踏み潰した。
「こら!何やってるの?」
先生に見つかって事情を説明した。
僕は悪くない。
蟻が噛んできたから。
仕方がなかった。
「どんな理由があっても悪い事は悪いんだよ」
何だよそれ。
悪い事って何?
その日はむしゃくしゃして放課後何も殺さなかった。
親に相談した。
先生はおかしい。
そうでしょ?
「違う、先生は正しい。お前が間違っているんだ。辞めなさい」
何だよそれ。
揃いも揃って。
大人は何も分かってない。
楽しいからしてるんだ。
楽しんで何が悪い。
大人はおかしい。
次の日は友達に相談した。
「え、そんなことしてたの?辞めなよ」
女はこう言う。
「そうそう。俺もそう言われた。可笑しいよな〜」
男はこう言う。
な?
俺達が正しいんだ。
大人も女も間違ってる。
「クリスマスプレゼント!前から買いたいって言ってたでしょ?」
「ありがとう」
可愛い子犬がそこにいた。
抱き抱えようとして止められる。
「こうやって支えて」
「うーん」
案外重たくてビックリした。
毎日やってるうちに慣れてきて、楽しくなって。
「えさは俺がやる」
「出来るの?」
「出来るって」
それからはえさも俺がやった。
俺は成長した。
犬も成長した。
家を出ていく時犬を蹴った。
ウザかったから。
「辞めなさい!」
「大人はいつも綺麗事ばっかり。うんざりなんだよ」
「だからってこの子を蹴るのは違うでしょ?」
「この子って。気持ち悪い。人間じゃねーんだよ」
「ちょっと!待ちなさい!待ちなさい!!」
親の言うことは無視して家を出た。
何も知らなかった。
今の自分じゃ社会に受け入れられない事も。
信頼ってのは一回無くなったら終わりだってことも。
色んな考え方があるって事も。
全部、何も知らなかった。
自分が正しいと信じて来た。
小学5年生に上がってから何も言われなくなった。
俺が怖いから言ってこないんだって思ってた。
クラスメイトからは無視される。
先生からは何も言われない。
自由だけど窮屈で。
見えない鎖で繋がれているみたいだった。
人間関係に信頼ってのは必要不可欠で。
それを失った俺は何もできない事を。
知った。
分かって。
初めて。
自分が。
どれだけ。
どれだけ愚かだったかを知った。
どんな輪にも入れない。
無理矢理入ろうとしても繋がれた手はそう簡単に離れない。
離れた所で俺とは手さえ繋いでくれない。
孤独何て気にして無かった。
それよりも他にキラキラしたものがいっぱいあって。
目移りしていた。
必要な物はすぐそこにあったのに。
昔の俺は自分を真っ直ぐ信じてた。
良くも悪くもそれが俺の個性だった。
前だけ向いてやってきた。
どれだけ分かれ道があっても真ん中だけを突き進んだ。
無垢とはどれだけ尊いのかを学んだ。
無垢とはどれだけ愚かなのか学んだ。
無垢とはどれだけ真っ直ぐなのか。
やり直せはしない。
戻りたいなんて思わない。
思ってないようで望んでる。
心の底からあの頃に戻りたいと。
ー無垢ー
5/31/2024, 11:22:46 AM