『これからも、ずっと』
一緒にいたい。
一緒にいられたら。
あぁ、つまらない。
僕の頭蓋骨に収納されている、この知的機関は、なんとつまらない言葉を垂れ流す欠陥品なのだろう
誰にでも書ける言葉だ。
ならば僕が書く必要などありはしないじゃないか。
一緒
そうだ、一緒という言葉が、そもそもとしてくだらないのだ。
くだらない
くだらない
あぁ、くだらない。
独りぼっちが寂しい訳じゃない。
孤独が辛くて叫んでいるのではない。
誰かと一緒という感覚に安堵や喜びを感じる回路が、まるで存在していないのだ。
だから、苦悩が加速する。
僕にとっては、誰かと過ごすことは、常に防衛体制に入る苦痛の時間でしかなく、誰かとずっと一緒にいたいなど、微塵も思ったことが無い。
だが、どうやら、世間はそれを基準にして動いているらしい。
だけど同時に、不思議に思うこともある。
『これからも、ずっと』
この言葉が目に入った瞬間に、轍の無い孤独の遠路を歩いてきた僕ですら
一緒にいたい
というニュアンスの言葉が、反射のように顔を出す。
例えばそれは、僕の中に欲求として眠っているからこその、表出なのか。
あるいは、人生で蓄積された常識ルールブックを脳で開き、無意識が基本解を弾き出した結果なのか
いずれにせよ。
どうやら僕は、なぜかは分からないが
『これからも、ずっと』
という言葉に対しては、反射的に『一緒』という言葉を書き記してしまうらしい。
4/9/2026, 9:04:36 AM