星が溢れる
都会の夜空には星がない。
いや、見えないだけだ。
その見えない闇の向こうに、星はきっとある。
でも見えないから、普段みんな無視をしている。
見えないものを見ようとすることくらい、無駄に思えることも少ないと思う。だって、認識できないのに、想像力だけで見ようとしたら、それはただの妄想なのだから。なんて虚しいのだろう。
見えないもの。
それは人の心も同じこと。
普段見えないから、ないものと思って人と接することは、意外と多い。
だって、いつも、相手にも心があるんだから思いやらなくちゃ、とか思っていたら、キャパシティを超えて気がおかしくなってしまう。
それは仕方のないこと。
だから、相手が自分をどう扱おうとも、それはお互い様だと思って赦している。
だけど…時々、とても耐えられなくなる。
自分も同じように見えないものを無視するのに、それを棚に上げて、痛みを神様の座にまで押し上げる。
そうして痛みを自分と同化させ、自分も神の座につき、崇めよ、この痛みを見上げよ、悔いよ、と迫る。
なんて高慢な心か…と思う…。
「見えない心からこぼれ落ちるのはいつも悲鳴だった」。そんなことを考えて、悲劇を我がものとした気になり、悦に入る。
滑稽ではないか?
ならばせめて、変わろうと思う。
見えない心。
都会の夜空が星を隠しているのだとしても。
せめて、星の輝きのように、微かでも確実に、光であると思える心へと。
星をこぼすように、光を届けられる心へと。
3/15/2023, 1:09:56 PM