sairo

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空から何かが降ってきた。
ふわりと軽い何か。光を反射して煌めいている。
雪ではない。
雪が降るのはまだ早く、雪よりも透明だ。光を反射しなければその存在に気づかないほどのそれを、見失わないように目を凝らす。
きらきら、ゆらゆら。風に乗って緩やかに落ちてくる何かは、静かにこちらへと降りてくる。あと少しで手が届きそうだ。
そっと手を伸ばしてそれを取る。光に翳して、それが何かを知った。
羽根だ。硝子のような透明な羽根が、空から降ってきた。
空を見上げても、青空が広がるばかりで羽根の主は見当たらない。

そっと羽根を鞄の中に仕舞い込む。
心臓が激しく動いている。まるで全力疾走した時のように落ち着かない。
気づけば笑顔になっていた。透明できらきらとした羽根。自分だけの秘密を持ったようで、嬉しくて堪らなかった。


家に駆け込めば、ちょうど玄関にいた母がその勢いに驚いたように目を瞬かせる。

「どうしたの?そんなに急いで」

不思議そうに首を傾げ問いかけられるが、それに答える余裕はない。
何でもないと返しながら、母の横を通り抜け階段を駆け上がる。自分の部屋に飛び込んで、ようやく一息吐く。乱れた呼吸を整えながら、机に鞄を置いて椅子に座った。
走ってきただけではない、胸の鼓動の激しさを感じながら鞄を開ける。そっと手を差し入れるが、求めるものはいくら探っても触れることはなかった。

「え?どうして……?」

慌てて鞄をひっくり返し中身を机の上に出すが、どれだけ探してもあの透明な羽根は見つからない。最初からなかったかのように、欠片も残ってはいなかった。
きゅっと唇を噛みしめる。家に帰るまであれだけ浮かれていた気持ちは、今はすっかり萎んで悲しさだけが込み上げる。
自分だけの特別で、秘密だった羽根。それが一瞬でなくなって、じわりと涙が込み上げてくる。
止められない涙を必死に拭っていると、戸を叩く音がした。
こちらの返事を待たずに戸を開けて、母が声をかけてくる。

「これ、落としてたわよ。これ、あなたの……泣いていいるの?」

少しだけ驚いた声がして、振り返れずにいる自分の側に母が近寄ってくる。そっと背を撫でられて、その手の温かさにさらに涙が溢れてくる。

「これ、玄関に落ちてたわよ。探してたのは、これじゃないの?」

机の上に散らばった鞄の中身を見て、ある程度察したのだろう。背を撫でながら、母は小さな鈴のついた鳥のストラップを渡してくる。
涙でぼやける視界の中、見覚えのないそれに眉が寄る。だが涙を拭いストラップを受け取りよく見ると、じわりと胸が熱くなるのを感じた。
あの羽根を手にした時のような高揚感とはまた違う、ゆっくりと染み込んでいく熱。暖かく、切ない気持ちに戸惑いながら母を見る。

「これじゃない。見たこともない……知らないのに、何だか懐かしい」

ストラップを両手で包み込む。ちりん、と小さく鈴が鳴る音を聞きながら、無意識に目を閉じた。
自分の気持ちが分からない。ただ、今の自分の思いを、母に聞いて貰いたいと思った。

「今ね、すごく気持ちがぐちゃぐちゃしてる……最初はすごく嬉しかったの。外で透明な羽根を見つけて、自分だけの秘密を見つけたみたいで、すごくドキドキした」
「透明な羽根?」
「うん。光に透かすときらきらしてる、綺麗な羽根……鞄に入れたのになくなっちゃって、今度はとっても悲しくなった」

母の手が背を撫でる。手の中で、鈴がちりちり、音を立てている。
感じる温もりと、聞こえる澄んだ音色を取り込むように小さく息をした。

「でもこのストラップを見たら、暖かいのに切なくなったの。知らないはずなのに、とても懐かしい感じがして、自分が良く分からなくなってきた」
「そっか……あなたもあの羽根を見たんだね」

母の言葉に、驚いて目を開け視線を向ける。どこか懐かしそうに、寂しそうに微笑んで、母は窓の外を見つめた。

「あの羽根はね、誰かの想いや願いなのよ。祈りって言った方が正しいかも知れないわね」
「祈り?」

母の視線を追って、窓の外を見る。けれど自分には広い青空しか見えなかった。
背を撫で、そして頭を撫でて母はそうよ、と頷く。

「言葉にはできなかった願い。誰かに会いたい。声を聞きたい……どうかいつまでも笑顔で、幸せでいてほしい……そんな誰かを想う祈りが、風に乗って届くのよ」
「誰かを、想う……」

そっと手を開き、中のストラップを見つめる。
知らないはずなのに、懐かしい。優しくて、暖かく、そして切ない。
誰の羽根だったのか、分かった気がした。

「ねぇ、お母さん」

ストラップから目を離さず呼べば、母は答える代わりに頭を優しく撫でた。

「手紙を書いたら……読んでもらえるかな?」

遠くへ引っ越してしまった幼馴染みに。
離れたくなくて、一方的に責め立て別れてしまった。あれから一度も、連絡をしていない。

「読んでもらえるわよ。だからちゃんと謝りなさいね」
「――うん」

頷いて、立ち上がる。
手紙を書くために、便箋を買いにいかなければ。
放り出していた鞄の中身を元に戻し、ストラップを鞄につける。母と共に部屋を出て、玄関へと向かう。

「――そう言えば」

ふと気になることがあり、母を見た。
母は何故、透明な羽根のことを知っていたのだろうか。
それを問いかける前に、母は僅かに頬を染めて笑う。

「お母さんもね、透明な羽根を手にしたことがあったのよ」
「それって……お父さん?」

父と母は元々遠い場所で、お互い接点もなく暮らしていたという。離れていたのにどうやって出会えたのか、どうして結ばれることになったのかまでは聞けていなかった。
もしかしたら、二人の話が聞けるかもしれない。期待を込めて視線を向ければ、母は人差し指を唇に当て。

「それは秘密よ」

楽しそうに笑うだけで、それ以上は何も教えてはくれなかった。



20251108 『透明な羽根』

11/10/2025, 6:41:47 AM