-ゆずぽんず-

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今も忘れることの出来ない人がいる。そのひとは私にとってかけがえのない存在だった。いや、そう気づいたのは彼と笑顔を交わすことが出来なくなってからだ。毎日のようにたわいない事で面白おかしく笑いあって、じゃれあっていた。イタズラをしたり、イタズラにイタズラで返されては互いに考えつく限りを尽くしていた。喧嘩も一度くらいはしただろうか。遊んでいる時に些細なことで口喧嘩をして、彼と別れ家路につく。途中で、酷いことを言ってしまった。悲しませただろうか、傷付いただろうか、泣かせてしまっていないかと胸が張り裂けそうになった。家に帰ってから後悔をして、反省をした。翌日の教室でどちらが謝るのが早いか、「昨日はごめんね。また遊ぼ」と声を掛け合った。いつものように彼の家まで、テレビ番組の話やアニメの話に盛り上がり笑い合いながら歩いた。
彼の家では、彼や彼のお兄ちゃんやその友達とゲームをしたりアニメを見たりして遊んだ。おやつを食べながらみんなで楽しい時間を過ごした。トイレに立った彼を驚かせたくて、トイレのドアを思いっきり開いくと最初は慌てていた彼も顔を真っ赤にして怒っていた。謝ると恥ずかしそうに「もう!だめだよ!」と許してくれた。学年の中でも小さい私よりも、さらに小柄な彼はいつも優しくて笑顔だった。そして、そんな彼の周りにも笑顔が満ち満ちていた。お日様の様な、春になると世界を彩るさくらや梅、菜の花のように私たちにとって彼はかけがえのない存在だった。

夏休み明けの初登校日の教室、彼の机の上の花瓶。担任の先生が涙をこらえて告げた、彼とのお別れの言葉。セミの騒がしい合唱が、開け放っている窓から生暖かい風と共に流れ込んで彼の机で静かに開いている花弁をそっと揺らした。彼がさようならと言っているような気がした。当時は命の終わりなど分からなかった。そういうことに知恵がついたのはまだだいぶあとの事だった。彼を失ってすぐは実感などなかったし、悲しみもなかった。ただ、彼が旅立つ前に具合を悪くしていたことを知った時に綴った手紙を渡しそびれたこと。「大好きだよ。これからもなかよえしようね。早く元気になってね」などと思いを込めた手紙を届けられなかったことが悔しくて仕方がなかった。もしもあの時、家に届けていれば。ポストが見つけられなくて、玄関の扉に挟もうとして躊躇をした。もしも、挟んでいれば。彼に届いていたら、彼は最期を前にして私の気持ちを受け取ってくれていたかもしれない。彼を失ったことよりも、大好きな彼に最後に会うことが出来なかった寂しさや、彼の寂しさを思って後悔した。
彼が天国に旅立って、命というものを理解したのは随分と年月が経ったあとの事だった。そして、今一番彼のことを想っている。こうして思い出して想いを綴っている今、涙が溢れて文字を入力できない。画面がぼやけて、文字が見えない。涙が画面を濡らして正常に入力できない。彼を思い出して、寂しくて悔しくて胸が張り裂けなくらい苦しくて書き進められない。
命の重みや尊さ、切なさや儚さを理解した時、私は初めて彼の死を理解出来たような気がした。そして、漠然としていた彼との別れを強く鮮明に自覚した。もう会う事はできず、直接お話することも笑い合うことも出来ないと悟った。そして、彼への自分の思いを知った。大好きだったんだ。

彼は私にとって特別で、かけがえのないたった1人の大好きな人だった。

3/23/2023, 11:02:32 AM