は、と目が覚めた。
仕事終わりで疲れて、眠ってしまっていた。
地方の終電一時間前の車両は空きに空いていて、自分一人しかいないというのも特段珍しいことでは無い。
たたんたたん、と軽快に走る車内。
たたんたたん、と軽快な足音。
ん?足音?と顔をそちらにやった。
———踊っている。
靴が、踊っている。
空っぽの靴だけがひとりでにステップを踏み、踊っている。
思わず息を潜めて周囲を見渡すが、やはり自分以外にこの奇妙な光景を見るものは居ないらしい。
寝ぼけたままなのか、不思議と恐怖はなく。ただ一心不乱に踊り続ける靴を食い入るように眺め、観察する。
あれは、赤みがかったダークブラウンの革靴だ。しかもそれなりに大きい人のもので、よく磨かれていることからも、持ち主はそれなりにマメであることが分かる。
身なりの良い男性が脳裏に浮かぶが、そんな人が非常識に電車内で踊ることは無いと頭を振った。
次の駅に止まった車両、開いた扉に新たな客が現れた。
空っぽの、赤いヒール。
そのヒールもまた、ひとりでに動いている。
いよいよ慣れてきた目で見ていると、踊る革靴に戸惑っている様子だ。
それはそうだろう。いや、こちらからすると革靴もヒールも似たようなものだが、気持ちはよくわかった。
微かに後ずさったヒールを閉じ込めるようにして扉は閉まり、運転が再開された。
革靴は、ヒールの存在に気づいた様子で、足は見えないが、足を止めてそちらに向かう。
また少し、ヒールは後ろに後ずさる。
そうして傍から見ればつま先を向けあった革靴とヒールという、なんともカオスな光景が誕生した。
なんだこれは。もう眠気などある訳もなく、息を飲んで二人?二足?の行く末を見守る。
透明人間同士の対話をしているから静かに沈黙しているのか、それとも全て終わってしまったのか、そう考える程の時間が経った。
一歩。
革靴は後ろ向きに歩き出す。
それに釣られて、ヒールも前へ足が出た。
手を引かれているように、先程まで革靴が踊っていた広い場所に出ると、ゆったりと二足はステップを踏み出す。
これは……ワルツだろうか?
息遣いなど一切聞こえないのに、息が合ったのか、ステップを踏みながら、次第に車両の道場を全て使って踊り始めた。
二駅分ほど踊っただろうか、どうやら仲良くなったらしい二足達は、足取り軽やかに開いた扉へと消えていった。
明らかに疲れ目から来る幻覚か、もしくは間違いようもない怪奇現象だった。
どっと疲れたような気がして、目を瞑る。
あの革靴は「一緒に踊りませんか?」とでも言ったのだろうか?それだったなら、面白いなと考えながら、再びやってきた微睡みに意識を沈めた。
10/5/2023, 4:28:12 AM