「例の保険会社のCMソングしか思い浮かばねぇんだわ。ラ〜ラ〜ラァーって」
去年何書いたっけ。「『それ』を示す、『それ』に該当する単語・言葉を『知らない』ので、言葉にできない」だったか?
某所在住物書きはスマホから、その「ラ〜ラ〜ラァーではない方」の楽曲を再生しながら、過去投稿分を参照していた――肝心の「言葉にできない」が音楽ライブラリ内に無かったのだ。
ダウンロードしてなかった。そのうっかりたるや、まさしく言葉にできぬモヤモヤ、悶々である。
「『該当語句を知らないから』言葉にできない、
『口外禁止令が出てるから』言葉にできない、
『人間の言語を持たない狐だから』言葉にできない」
考え得る言葉化不可の理由を、物書きは列挙した。
「……他には?『口がテープで塞がれてる』とか?」
――――――
最近最近の都内某所、某職場の本店、朝。
男性のような女声、あるいは女性のような男声の持ち主の、名前を加元というが、
珍しく不機嫌な風をして、デスクに座り、ノートとタブレットの電源を入れてコーヒーを飲んでいる。
「珍しいな」
3月から加元の上司をしている宇曽野は半分興味津々で、半分社交辞令。不機嫌の理由を知っているのだ。
「何かあったのか」
加元はただ、別になんでも、と一言だけ。
宇曽野のモーニングトークに応じる気になれず、ただ、今日の業務の準備をしている。
加元がここに転職してきてから、はや1ヶ月。
明確な目的を持ち、確固たる意志のもと、前職よりずっと少ない給料に甘んじて仕事をしているのに、
肝心の目的に関して、進展が無い。
(本っッ当、あたまおかしい)
加元の攻撃的な胸中が音声として言葉になることは、勿論なかった。
恋に恋して、恋人をアクセサリーかスタンドミラーと見なす加元。
3月からここに転職してきたのは、自分のところから勝手に逃げて、勝手に縁を切ったミラーピアスを探し出すため。
すなわち元恋人を追いかけてきたのだ。
加元から逃げた元恋人は名前を附子山といった。
先日その附子山が住んでいる筈のアパートと、部屋番号を知ったのだが、
エントランスにオートロックシステムを有するハイセキュリティなアパートに入るために要したコストに対して、得た成果はほぼゼロ。
落胆であった。 激怒であった。
「ハラワタの煮えくり返る」とはこのことである。
附子山が例のアパートに入るのを見たのが12月。
オートロックに阻まれ約3ヶ月。
転職先であるこの職場に「附子山って名前かどうかは知らないけど、そいつと同じ階に住んでるよ」という助け舟を見つけたのが先週末。
自分の好みと完全にかけ離れた助け舟、その部屋に遊びに行く名目でゲストキーを受け取り、
さぁ今日こそ勝手に縁切った相手との再会をと、
附子山が住むという部屋のインターホンを、
『こ〜んば〜んわっ!』
押そうとしたところ、突然大声で、見知らぬ男に挨拶を投げられた。
『その部屋に、何か用ですか〜?』
『いえ、何でもないですッ』
驚いた加元は上擦った声で逃走、もとい逃歩。
加元が出会った男は加元と同じ職場、違う支店に勤務しており、名前を付烏月、ツウキといった。
『いや、明らかにあなた、ドアの前に立ってたよね?ご用事?訪問販売?何か恋愛のドス黒い云々?』
『何でもないですって』
『伝言なら預かるよ〜?』
『いりません!』
ああ、あと一歩、あと少しだったのに! 当時の加元の感情の嵐たるや、言葉にできぬ荒れ様であった。
ところで、後出し情報の完全な蛇足であるが、
今回投稿分でちっとも姿を見せない「附子山」という人物、実は加元と縁切ってすぐ改姓しており、
現在の名前を「藤森」という。
この旧姓附子山、現藤森が加元から逃げた理由については、今回投稿分で語るには長過ぎる諸事情が横たわっており、それこそ文量過多になるため「文章(ことば)にできない」ところであるが、
その一端については、前回と前々回投稿分で少しだけ、ご紹介している次第。
なおスワイプが面倒なので参照はオススメしない。
「……はぁ」
ため息ひとつ吐いて、加元は先日の付烏月との遭遇を頭から振り払い、今日の仕事に集中する。
「職場で附子山さんと会えれば、わざわざアパートに行く必要も無いのに」
本当に、どこに居るんだろう。
再度息を吐く加元が「附子山」の真実を知るのは、まだまだ先のハナシである。
4/12/2024, 3:42:53 AM