与太ガラス

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 最近、また一段と風が強くなっている。空を見上げると鳥たちは嬉々として風に乗り、桜の花びらが舞い踊って空を淡い桜色に染めている。地上では木々がざわめき、幟のはためきが聞こえてくる。

 あれは誰かが持っていた風船だろうか。あっちでは帽子も飛んでいる。風はさまざまな飛翔体を運んでいた。その中でも一際目立っているのは、人だった。

 両手を広げて優雅に風に乗っている人もいれば、足をもがいて必死に空に止まろうとする人もいる。豆粒ぐらいにしか見えない空高くにいる人は、どんな姿をしているんだろうか。空は人で埋め尽くされていた。

 そんなふうに見上げていた私も、飛ばされそうなほど強い風に打ち付けられて、地上に踏ん張っているのがやっとになってきた。

「あんた、風を感じているのか?」

 私の目の前に、大きな男が立っていた。白くなった髪は薄く、顔には深く皺が刻まれている。しかし大きな男だった。

「感じるもなにも、立っているのがやっとなくらいですよ」

「そうか。あんたは風に乗りたいとは思わないのか?」

「風に乗る? あの人たちみたいに?」

 私は空を飛ぶ人たちを見上げた。

「そうだ。彼らはみな、風をつかんであそこにいる」

「私は今のままでいい。むしろこんな激しい風、止んでほしいくらいだ」

「それも間違っちゃいない。だがあんたほど激しい風を感じられる人間は一握りだ」

 一握りという言葉に引っかかった。それは私に、風に乗る権利があるっていうことか?

「だからなんなんだ」

「空の上からじゃなきゃ見られない景色もある。もちろん、乗りたくなきゃ乗らなきゃいい。いずれ風は止むよ」

 知ったふうな口を聞く。だけど私には風に乗ることがどうにも楽しそうには見えない。

「危なくないのか? 見ていると、今にも落ちそうな人もいる」

「ああ、だが落ちたって死にゃあしないよ」

「あんたはどうなんだよ」

「俺にはもう風は吹かない。だがあんたが望むなら、風の乗り方を教えてやれる」

 風に乗れるチャンスは多くは訪れないということか。

「もし乗らなかったら?」

「乗らなかったら、あんたの望み通り。今のままだろう。ずっとここにいるだけだ」

「あんただって今、ここにいる」

「ああそうだ。だが俺はあそこから見た景色を知っている」

 大男は天空を指差した。

「あんたの時も、こんなに激しい風が吹いていたのか? 空にはこんなにたくさんの人がいたのか?」

 大男は目線を右上にやり、とぼけた顔をした。

「そうさな。俺の時は嵐だった。空はもっと暗くて、人は……、今よりももっと少なかった。あの頃の手探りの感覚は、もう味わえんだろうな」

 それだけ、空が未開だったということか。今よりも未知の世界。

「……怖くなかったのか」

 私の質問に、大男は口角を上げて笑った。

「楽しかったってことだよ。それだけ」

 その男の表情に、私は突き動かされた。

「飛びたい。風に乗って、この空を飛びたい」

「そうか。じゃあ風の乗り方を教えてやろう。簡単だ、空に向かって手を伸ばせばいい」

「は? 手を伸ばす?」

 あまりにも簡単すぎる。コツとかハウツーとかのレベルじゃない。

「手を伸ばせば、そこに何かが飛んでくる。選んだっていいが、あんたの好みのものに選ばれるとは限らない。まあ気にせずつかむといいさ。インスピレーションってやつだな」

 言っている意味はわからないが、やるべきことはわかった。私は空に向かって手を伸ばした。すると無数の飛翔体の中から、誰かの風船が目の前を横切った。突然のことで反応が遅れる。急いで手を出したが風船の紐が指先に触れただけで、つかむことができずに飛び去ってしまった。

 なるほど。運もコツも必要ってことか。でも次は大丈夫。

 考えている矢先に目の前を黒い物体が横切った。私はそれが何かを確認する前に手を出していた。私の手の中に、それはしかとつかまれた。かと思うと私の足はもう地上から離れ、右手を先頭に体全体が宙に浮いていた。いや、風に包まれて空中を疾走しているようだった。

「おお、いいもんをつかんだみたいだな。そいつは旅する風だ。存分に楽しむといい」

 そう言って手を振る大男は、1分と経たないうちに私の視界から見えなくなった。体を捻って私がつかんだものを確認する。

 それは、小さなツバメだった。

3/7/2025, 4:17:13 AM