あの日の温もり……
五年程前、一緒に仕事した女の子がいた。
彼女は学生時代に手話サークルで活動していて
彼女の手はとても雄弁だった。
私も手話を話せるようになりたくなった。
図書館に通い、本を探して少しずつ覚えた。
まずは五十音から。
五十音を覚えたところで
覚えたことを彼女に打ちあけた。
彼女はとても喜んで
五十音を私とコラボしてくれた。
そして最後にひとつの言葉を教えてくれた。
「ありがとう」
左腕を胸の前に出して右手の手刀でトンとする仕草…
これが「ありがとう」だと。
その後、彼女は職場を去った。
彼女と離れて、私の手話は五十音から足踏み状態になり
最近では五十音も怪しくなってしまった。
けれど、
あの日の「ありがとう」はずっと頭の隅にあった。
なんとかして「ありがとう」を使える人になりたかった。
そう、普通に手話でありがとうを使いたかった。
まずは練習をした。
自然に使うためには、手が言葉を覚える必要があった。
頭で考えていては遅いのだ。
…なかなかチャンスは訪れず数年が過ぎた。
しかし、それは突然やってきた。
数日前のことだ。
車を運転中、一時停止で止まった私に、
優先道路上のダンプの運転手が道を譲ってくれた。
頭を下げながら、私の手が「ありがとう」と言ったのだ。
ああ、言えたんだ!
相手に伝わったかどうかはわからない。
でも、私の手は確かに言えた。
私はひとり、にまにまとしながら
一歩踏み出せたことを喜び
あの日の彼女に感謝をした。
2/28/2025, 11:02:08 PM