黒山 治郎

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この人生では友人が少なかった。
ひと握りの友人はいたが
別段、その人物等の深い事情なんて
知ろうともしなかった。

だが、淡白な私にも例外の子がいた。

けたたましい蝉騒が聴覚を狭め
日差しは強く視野が色飛びする様な
呆れるほどに夏の真っ只中な、とある日
学校帰り、その子の家へ
招かれた事があった。

何て事も無い理由で、一緒に勉強をしようと
普段から人を良く見ている子で
誰かの気分を害した場面も見た事がなかった。

あまり、人と関わろうとしない私を
無意識に気に掛けてくれたのだろう
深くは考えず、お誘いへは快く了承し
二人で自転車に乗り、寄り道などをしつつも
学校から少し離れた一軒家へお邪魔した。

古めの木材と色褪せた畳の香りに
昔の家屋ならではの急な階段を上がり
友人の部屋へと足を踏み入れた。

六畳ほどの一部屋には必要最低限の家具があり
学生にしては飾り気は少ない気がしたが
勉強机の前には眺めの良い大きめの窓もあり
風の通りもよく、居心地の良い空間に思えた。

端を陣取る畳まれた敷布団の近くの土壁
そこに立て掛けられたちゃぶ台を中央に置き
二人だけの勉強会が和やかに始まった。

数学と国語の授業内容の相互理解を
一通り示し合わせた、暫くの後
唐突に襖の戸が大きな声と共にしなる
あまりにも突然の出来事で
私は目を丸くして数秒固まっていたが
友人の行動は慣れた様子で早かった。

今だに、しなる襖の戸を背に
己が体で懸命に抑えつつ
泣きそうな顔で笑ったまま
私へ謝罪を投げ掛けてきたのだ。

「姉さんの機嫌が悪いみたい…
今日は帰ってくるのが遅いって
聞いてたから誘ったのに、ごめん」

怒鳴り声は確かに女性のもので
自分に挨拶もないのかと喚いている
声が降り積もる度に友人は顔を暗くし
私から視界を外していった。

その子の事は、嫌いではなかった。

以前に知人達と食事へ行った時に見掛けた
美味しそうに食べる様子が好ましくて
鞄の底には出しそびれてはいたが
行き道で買ったお菓子も潜んでいた程だ。

少し悩んでしまったが
その子へ、私も謝罪を告げ
菓子折りとまでは行かないが
持ち合わせた物をあるから
是非、お姉さんに合わせて欲しいと
手短に言葉少なく願い出た。

友人は一層泣きそうな顔になったが
納得してくれて襖から身を引く
私がお姉さんへ襖越しに声を掛け
戸から離れる気配を感じてから開け放つ。

顔を真っ赤にし、憤慨する女性に
挨拶が遅れたことを謝罪し
笑顔で害する気は無いのだと菓子を手渡す
間はあったが女性は、しばし菓子を眺めて
何事かを言い捨て別の部屋へと去っていった。

呆然と数十秒を無言のまま立ち尽くしたが
彼女は緊張の糸が解けてうずくまり
私に謝った事で、ようやく時間は戻ってきた。

私は胸を少し撫で下ろしてから
彼女の足元へ腰を落とす
その振動に肩が震えたのが見えて
ほんのりと撫でたばかりの胸は痛んだが
自身から出てきた声は間抜けだった。

「休憩用のお菓子はあげちゃったけど…
もう少しだけ、一緒に勉強してもいい?」

私達はお互いに顔を突合せて
君はその為のお菓子だったんだと吹き出して
ほんの少しだけ、二人で笑ってしまった。


そんな私達は社会に出てからも
気ままに連絡を取り、一緒に過ごしては
あの頃を懐かしんで笑っているよ。

ー 友だちの思い出 ー

7/6/2024, 4:41:09 PM