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 「ねぇ、人間って、何でもできるんだよ」

 嘘みたいなホント。軽やかに、何事もないように告げた彼女の声色は、僕をからかう時のそれで。だから、どうかな、なんて苦笑しながら返した。
 後から見返せば、それなりの思い出を作ったのに。君の名前と同時に思い返されるのは、いつも決まって、勿論冗談だよとこぼした、君の後ろ姿だった。

 大層な夢を語ることをダサいと思った。思春期の僕はいつだって、ロマンチストを鼻で嗤っていたのだろう。それなりの大学に入って、中堅企業に勤めるよ。つまらないけれどリアルな将来を語ることがカッコいいとすら思っていた。
 その頃の僕は、社会の授業が好きだった。歴史も面白かったけれど、それ以上に政治・経済、なによりも哲学に惹かれた。
 ああ、有り体に言えば、厨二病。17の夏の終わり、先生は期末テストの範囲と称して、僕にニーチェを引き合わせた。ニヒリズム。虚無主義。思春期真っ只中の僕は、都合の良い解釈をした。曰く、今のあることに意味なんて一つもなくて、大成するなにかも運命も宿命もない。嫌な悦。けれども僕は、少なくとも周りより世界を知った気になっていた。鼻を伸ばしたピノキオみたいに。
 僕がこんなにも世界を舐め腐って得意満面であれたのには、勿論理由がある。僕の人生が、うまく行き過ぎていたのだ。部活に打ち込んだ。それなりに心の置ける友人がいた。家族との関係も良好だった。問題らしい問題が、どこにもなかった。そうであるから、クラスで『イケてる』人間でもなかったのに、彼女がいた。
 よくある話だ。同じ委員会に所属していて、なんとなく話す機会が多かった。そうしていくつかイベントが終わる頃に、クラスメートに軒並み「付き合ってるの?」と聞かれただけ。本心がどうだったかは知らないけれど、彼女は悪ノリが好きだったから。そう聞かれる度に、僕の腕をとって「いいでしょ〜」と返した。まもなく僕らの関係は、公認になった。
 実際僕は、否定をしようと思ったのだ。僕と彼女はあまりにも、似ても似つかなかったから。嘘かホントかも分からないこと、くだらない話を彼女は好んだ。ペンギンが空を飛んだら、とか、デロリアンがホントにできたら、とか。『ニヒルな』僕は、その度にツッコミを入れて、彼女はますます上機嫌になる。僕らの会話の大半は、そんな『たられば』な話で埋まっていった。当時の僕は煩わしい、なんて友人に自慢していたけれど、それならば別れればいいじゃん、と言われて何も言えなくなった。
 それなりの思い出を作った。遊園地、水族館、夜の学校のプール、夏祭り。彼女がいたずらの感覚で選ぶ僕らの遊び場は、結果として恋愛小説のテンプレートみたいになった。
 それでも僕らの距離は、縮まらなかった。いつどこで彼女と話しても、どう見ても僕たちは冗談を交わす友人だった、それ以上のなにものでも、なかった。
 
 ……今思えば、虫の良すぎる話だ。鬱陶しいと嘯きながら、この距離感を維持したがった。そう思っていたのは僕だけだったかもしれないのに。



 「ねぇ、人間って、何でもできるんだよ」

 よく、憶えている。高3の、僕が冬服を着た最初の冬の日。面倒くさがって校則で定められるまで夏服だったから、もう木枯らしが吹く頃の、黄昏時。もう何度も一緒に帰れないね、なんて話をしていて唐突に、彼女は言った。
 嘘みたいなホント。軽やかに、何事もないように告げた彼女の声色は、僕をからかう時のそれで。だから、どうかな、なんて苦笑しながら返した。数歩先を歩く彼女が、止まらずに話しかけたから。彼女が僕の顔を見ないで話しかけることが今まで一度も無かった、なんて、僕には気が付かなかったから。
 「……勿論冗談だよ」
 それっきり、彼女は黙った。僕はいつも通りツッコミが欲しいのかと思って、でも誰でも火星に行けるわけじゃないし、誰でも金メダルが取れるわけじゃないでしょう、なんて返した。彼女は返事をしなかったけど、2、3頷いた様に見えたから、それ以上会話を続けることを、しなかった。
 その日はそのまま別れた。数日間、またいつものように他愛もない話をして、気がつけば受験が始まった。僕らが会うこともなくなった。


 そう言えば彼女から進路の話を聞いたことがなかったな、なんてことにようやく気がついたのは、共通テストが終わった後だった。あの後彼女と会ったのは、卒業式の1回きりだった。僕は気になっていたけれど、2次試験の結果が出てない、とか、部活で話がある、とか、ともかく気を使うことが多すぎて、結局彼女に聞くことはできなかった。
 僕らの関係は、そのまま自然消滅した。悔いも未練もなかった。それ以来、彼女と会うこともなくなった。


 彼女の名前を再び耳にしたのは、それから20年以上も後のことだった。
 日本人初の女性飛行士。彼女は火星に行くらしい。今のお気持ちをお伝えいただけますか。無数に炊かれるフラッシュの中で、彼女はインタビュアーにこう言った。

 『誰でもできるんですよ。できたんです』

 大層な夢を語ることをダサいと思っていた。
 その時になって初めて、本当は、大層な夢を語る自分が好きな奴がダサいだけなんだって、気がついた。


【手のひらの宇宙】

長くしようと思って長くしてはいるのですが…
如何せんテーマからブレますね……精進します……

1/18/2025, 1:11:26 PM