「平穏な日常」は、切に求めてやまないものだ。
大切な人の生活はそのようなものであってほしいと願うし、自分の生活もそうでありたいと思う。
過去、どのようなことがあったのかということにかかわらず、それは今と未来で手に入れられるものだと信じたい。
過去にとらわれ、過去に支配されることを受け入れてしまうなら、それは非活動的であるゆえに楽かもしれないが、幸せで平穏な日常というものは手に入らない。
過去に打ち勝つ必要はない。過去に苛まれながらも、幸せを手にしている人はいる。そのような人を、人は軽蔑しないだろう。それに、自分でも憧れを抱くだろう。
時折不死身のように過去がよみがえり、今を蝕むような感覚になったとしても、そのような人への憧れは死なないだろう。
今、窓の外で小鳥が鳴いている。雀のような小さな鳥だ。
こういう小鳥たちは、今を生きるのに必死だろう。小鳥たちのフィールドには、鳶やカラスのような天敵もいるのだから。
でも、危険なフィールドに生きていながらも、こんなにも幸せそうに鳴くのはなぜだろう。
そういう姿に、人間は近づくことはできるだろうか?
3/12/2023, 12:13:49 AM