「海の底に楽園はあると思う?」
先輩が言った。目の前には海がある。先輩の瞳はその水面のようにキラキラと輝いている。光を吸収し、反射して、あたたかな輝きを持つ瞳。
「竜宮城の話ですか?」
「そうだね。そこにちょうど亀もいることだし」
「それさっき先輩が作った砂の亀じゃないですか」
「助けたら連れて行ってくれるかもよ」
イジメられてもいない亀をどうやって助けると言うのか。先輩が鼻歌交じりに作った小さな亀は、ニコニコと楽しげに笑っている。先輩は彼に「ノア」と名付けた。また大層な名前だ。このちっぽけな亀では人間ひとりだって救えないだろう。そもそもノアは船を作った人であって、船そのものではないのだが。
「ね、本当にあるのかな、海の底に」
先輩の言葉に、海の底を空想する。そこは静かなのか、賑やかなのか。寒くはないのだろうか。あたたかければいいなと思う。先輩が寂しくなければそれでいい。
なんにせよ、僕に言えることはひとつだけだった。
「先輩があると思うなら、あるんじゃないですか」
先輩はその答えに満足そうに微笑んだ。僕もそれを見て満足する。海の底の楽園は、きっと、この人の瞳の中にある。
1/21/2026, 6:56:48 AM