すゞめ

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 装いはいつもと変わらず、シンプルなシャツにジーンズとボーイッシュにまとめていた。
 普段は邪魔だ落ち着かないだと言われ、俺からはプレゼントさせてくれないアクセサリー。
 今日は唯一、彼女が持っている輪の大きな金色のイヤリングを揺らし、右の小指に細い金のリングを嵌めた。
 毎日軽くまとめているポニーテールも、ヘアアイロンで器用にウェーブを作って濡れ感を出している。

 知らない世界、知らない街、知らない人々。
 見知らぬ場所に赴くとき、彼女はいつもよりひときわ強い赤を唇に差す。
 猫みたいに鋭い目元を作っていた彼女は、真っ赤になった口元を確認して満足気にうなずいた。

 最後に、手首へひと振り。
 なかなか減らないウッディ系のコロンを擦り、首筋につけた。

「うんうん、いい感じ」

 上機嫌に笑みを深め、薄紫色の細やかなレース刺繍の入ったハンカチをカバンに入れる。

「お待たせっ」

 約2時間。
 彼女の変身過程を眺めていた俺は率直な感想を伝える。

「ずいぶん気合入ってますね?」
「初めて行くところだからね、ガッツリ強化して行かないと」

 ムキっと腕を曲げて見せたが、アピールする場所は二の腕であっているのだろうか。

「とはいえ、女の舞台裏を堂々と覗くなんてデリカシーのないことしないでくれる?」
「それ。言うの今であってます?」
「今だから言うんだろ。メイクする前に言ったところで聞いてくれないだろうし」

 メイクのせいか、今日の彼女は目力も圧も強い。
 
「それもそうですね」
「そうですね、じゃねえよ。まったく……」

 あきれてため息をつく彼女に、俺は手にしていた携帯電話に視線を移した。

「もしかして、動画撮るのもやめたほうがよかったりします?」
「はあ!?」

 彼女のオフからオンに切り替わる過程を動画にも収めていたのだが、気づいていなかったらしい。

「だって今日は絶対きれい系にまとめると思ったんですもん」
「……あのさぁ。もしかして朝6時に家まで来たと思ったらそういうこと?」
「それに関しては早朝にすみません。昨日の夜に押しかけたんですが、時間が遅かったのもあって既にチェーンをかけられてしまいました」
「電話でもしてくれればよかったのに」
「真っ暗だったのでもうおネムだったのかなと。わざわざ起こすことでもないですし」
「それはそう。んなくだらないことで起こされたらたぶんキレる」
「はい。なのでおとなしく帰りました」

 彼女を怒らせてデートがキャンセルになってしまっては本末転倒だ。

「でも、ここまで気合い入れるとは思いませんでした。おかげで大変有意義な時間を過ごさせていただきました」

 いつもとは180度違う彼女のメイクに、ドキドキと胸が高鳴りっぱなしだ。
 キリッとしたメイクや髪型はいつもと印象が異なる。
 ちゃんとカッコいいのにちゃんとかわいいという、とんでもない欲張りセットだった。

「お目当てがあるとはいえ、せっかく初めて行く土地勘も全然ない知らない街に行くんでしょ? 今日は特別」
「と、言いますと?」

 彼女からの「特別」というワードに食いつく。
 得意気に口端を上げた彼女は、猫のような瞳を妖しく光らせた。

「屋内の写真映えはね、今日みたいなメイクのほうが盛れるの」
「なんですって!?」

 彼女の魅力なんてメイクや場所なんかに左右されない。
 そんなことよりも、彼女が写真を好きなだけ撮らせてくれるつもりでいることに、テンションが爆上がりした。

「今日はあなたの写真を撮りたい放題ってことですか!?」
「どうせコソコソ撮られるだろうし、それなら盛ってほしいしね? でも、さっきの動画は消して」
「消しました」

 彼女の目の前で、ペーンと指をスライドさせて動画を削除した。
 ゴミ箱に移動したため、そちらもしっかりと削除する。
 クラウドでは生きているが。
 怒られそうだから内緒である。

   *

 玄関に移り、さあ出かけましょうというタイミングで彼女が頬を染めて俺の服の裾を掴んだ。
 いつもよりキラキラさせた睫毛は、恥ずかしそうに伏せられている。

「……ねえ」
「なんですか?」
「デートが終わったあと私から……キ、キスしてあげるって言ったら、メイクの動画、クラウドからも消してくれる?」

 クラウド保存されていたことはバレていた。
 だが、とんでもなくでかい誘惑を彼女がぶら下げてくる。

 ……キ、ス……。

 彼女からそんなことされたら、と思うと気持ちが一気に昂った。
 あの濃く引かれた赤を崩して、目元にキラキラと乗せられたラメも熱で溶かしてしまってもいいのだろうか。

 彼女から扇状的に迫られて俺が止まらないことくらい、彼女が一番よく知っているはずだ。
 必然的にその先の行為を想像して息を呑む。

 俺はあっさり要求に屈した。

「消します。消しました。どうぞ確認してください」
「え、は、早っ!?」
「今日のデート。ますます楽しみになっちゃいましたね?」
「ど、同意を求めてこないで……」

 髪の毛を指で遊ばせながら彼女は靴を履く。
 照れて少し汗ばんだ彼女の右手を取って、俺たちは家を出た。


『見知らぬ街』

8/25/2025, 6:17:09 AM