「人が死んで、最初に忘れてしまうものは声なんだって」
彼女が言う。
私は口が聞けない。声が出せない。
最初から声が無い私なのだから、忘れるも何も無い。
「――良かった。キミが死んだ時、私が忘れてしまうものは他の人より一つ少なくて済むんだね」
彼女の言葉の意味が私にはよく分かる。
――では、私は?
もし、彼女が先に死んでしまったら私は彼女の声を忘れてしまうのだろうか。
彼女の少し金属質な、高い声が好きな私にとって、それはとても悲しい事だ。
「私が先に死んだら、か。·····そうだねえ」
彼女は笑いながらノートに何やら落書きをしている。
猫や花、その横はカピバラ·····だろうか?
「声を忘れちゃったとしても、こうして書いた字や絵や、一緒に撮った写真がいっぱいあるから大丈夫だよ。それに、スマホに動画も残ってるでしょ?」
私が頷くと、彼女はにっこり笑った。
◆◆◆
今、私の隣に彼女はいない。
彼女の方が先に死んでしまったのだ。
「ごめんね、ずっと内緒にしてて」
小さな画面の中で、病衣を着た彼女が呟く。私よりずっと深刻な病を抱えていた彼女は、ある冬の日に突然倒れ、そのまま帰らぬ人となった。
「キミは大丈夫だよ」
ある日送られてきたメール。そこに添付された短い動画。
「私はキミに沢山素敵なものを貰って、とても幸せだったよ。だから今度は私がキミに、贈り物を贈るね」
動画の中で彼女は背筋を伸ばし、居住まいを正す。
「んん·····、本当は歌は苦手なんだけれど」
たどたどしい歌い方で、彼女は歌う。
決して上手くはない。時々音程が外れ、声が裏返る。
けれど金属質なその声は、私の大好きな声で。
当時流行っていたアイドルの歌を、私は画面の中の彼女と共に歌う。
音程の外れた彼女の歌と、声の出せない私の無音の歌。けれど世界中のどんな音楽よりも私にはそれは美しいもので――。
泣きながら、私は動画の中の彼女に微笑んだ。
END
「君の奏でる音楽」
8/12/2024, 3:54:04 PM