桜花 爽来

Open App

テーマ「手放した時間」

人のために自分の時間を手放したことはたくさんある。
グループ発表でみんなが恥をかかないように必要以上に時間をかけて準備をしたり、自分がしなければいけない作業を置いて、友達の相談に乗ったり。
そんな時間がたくさんあることは自分を苦しめるのかもしれないけれど、目の前の人が笑顔になるのはとても嬉しい。
しかし、私はもう一つの時間を、ずっと見過ごしていた。「いつでもできる」と、未来の自分に先送りし、その結果、まるごと失ってしまった時間だ。
その存在に気づかされたのは、つい昨日の昼のことだ。

元々、私は家のことを全く見ることができなかった。
見ようとしなかったというのが正しいだろうか?外での生活で精一杯だった。
授業に大量の課題、サークルや委員会、外部の合唱団にアルバイト…要領の悪い私にはそれをこなすことさえ困難であった。
特に2週間前は酷くて、学祭前で大学祭実行委員会の活動が遅くまであり家に着く時間が必ず23時を超え、早起きするために3,4時間しか寝ずに学校に行くという生活だった。
だから家の手伝いすらできなかった。
もしくはできないと言い聞かせていた。

学祭も終わり、やっと元の生活習慣に戻ってきた頃である昨日、パート終わりの母が
「ごめん、足痛くて歩けへん」
と言ってきた。
急だったし普段会話もないからどう声をかけたらいいのか全くわからなかった。
日曜日だから病院もない。
救急車を呼ぶかと聞いたが、別にいいとだけ返ってくる。
私は、どうすればいいのかも分からずに立ち尽くしてしまった。
体感では30分程たった頃、
「じゃあ家事を代わりにやってみよう!!」
と思い立ち、掃除や料理をやってみた。
掃除はできる。学校の掃除の時間でやったことと同じ要領だろう。
問題は料理だった。食材は冷蔵庫のどこにある??包丁の持ち方は??コンロのつけ方は??
結局料理は断念してしまった。
次の日である今日の朝、早起きをして洗濯をしようとした。
しかし洗濯機の操作方法が分からない。
これは説明書を見てなんとかなったのだか、私はその時、自分の生活力の無さにはじめて気づいた。
私は、忙しさを理由に自分の時間を全て外へ注ぎ、この家の日常という時間をまるごと手放していたのだ。

これまでの日常を振り返ってみる。
2週間前はともかく、他の日は「忙しい」と言うのはただの言い訳でしかなかった。
家族から目を背けるためにわざと遅くまで学校にいたしそのせいでここ数年ご飯の時間に一緒に食べることは滅多になかった。
ここで早く帰って食事の時間に話しながら食べていたら異変にも気づけていたのだろうか?
きっと家事の手伝いをする時間も作れただろう。
私はこの「手放した時間」をどうやって返せばいいのか未だに分からずにいる。
せめて今この時から手を離すことのないように。
過去の自分から目をそらすように、家に戻る足を進めた。

11/24/2025, 9:53:35 AM