『暗がりの中で』
深い暗闇の中、ただひたすらに歩く。
灯りは見えない。足にも疲労が溜まっている。
けれども、不思議と進む道は分かっていた。手足さえも見えない暗闇の中、ただ真っ直ぐと進む。
……どこに行くんだっけ?
ふとそんな疑問が脳裏によぎった。この暗がりを抜けた先。そこに何かがあったはずだ。
そう思っても、頭には霞が掛かる。どこへ向かっていたのかなんて思い出せない。
それなのに足は進んでいく。すべるように、刻むように。
――とつとつ。とつとつ。
規則正しく鳴る音に、ぼんやりと、心臓みたいだなんて思う。体を動かす全ての源。生きてる者の、命の音。
けれども周りは酷く静かで、温度すらない。暗闇以外、何も存在などしない。
……ならば、今ここで。この足を止めたら、どうなるのだろう?
そう思った直後、前方の闇が蠢いた。ざわざわと闇がのたうつように、濃くなったり薄くなったりしている。
「……何?」
思わず呟いた時だった。歯切れのよい、どこか見知った声が聞こえてくる。
「走って! ――!」
その言葉が聞こえた途端、理解するより先に体が動いていた。足は飛ぶように地面を蹴る。
思考なんて置いてきぼりにして、体はただ走っていた。
……まって、まって待って!!
何で走ってるのかも分からないまま駆け抜ける。良く見れば足をついたところが僅かに光を放っていた。
……なに、なに、なに!?
光は徐々に強くなる。いつの間にか前方の闇は薄れていた。
――そして。
「わっ!?」
「……ルシアッ!?」
気付けば森の出口にとびだしていた。先に待っていたであろう兄が慌てて受け止める。
「良かった! 途中ではぐれた上に出て来ないから、森に飲み込まれたのかと……無事で、ほんとに無事で良かった……!!」
少女――ルシアは兄の腕の中で目を瞬かせると、はぁ、と小さく息を吐いた。
あぁ、と鈍くなり掛けていた頭を動かす。
……森で、迷っていたのか。
森。人を迷わせるという暗霧の森。魔物から逃げる途中、その問題の霧に足を踏み入れてしまったのだ。
それに気付いたであろう兄は、前を見つめ『何があってもあの方向へ走れ!』と言っていたのだが。
いつの間に逸れてしまっていたのだろうか。
「何だったの、今の……」
思わずそう口にしていた。
思考が鈍くなっていく空間。一寸先も見えない闇。
森の中に居たはずなのに、そうとは思えないような何も無い場所。
あのままあの場所にいたら、どうなっていたのだろうか。
兄から少し離れると、頭上から少し疲れたような声が降ってくる。
「忘れた方が良いよ。また引きずり込まれたら、たまったもんじゃない」
「忘れるって……難しいよあんな場所」
「大丈夫、きっと月日が忘れさせてくれるから。そういう場所なんだ彼処は」
そう言った兄は狐のような細目を森へと向けた。クリーム色をしているはずの髪が影を落とし、その表情はどこか暗い。
「……そうなの。でも確かに、あんな思いはもうしたくないかな」
ルシアは兄を追って森を見やると、ふるりと身震いした。
暗霧の森。出来ればこれ以降は遠慮願いたい。
「……そういえば魔物は?」
今日ここに来ることとなった原因を思い出し、兄へと聞く。
「あぁ、倒したよ」
「倒した!? あんな中でよくやるね……」
「捕まる前に倒して、逃げ仰せたからね。これでも無我夢中だったんだよ?」
そう笑う兄は、トレードマークとも言える三つ編みがちょん切れてしまっている。無我夢中という言葉も嘘では無さそうだ。
「さ、仕事は終えたし帰ろうか。さっさと離れて我が家に帰ろう」
「そうだね。お腹空いた……」
「何食べたい? 美味しいの買ってっちゃおう」
そんな会話をしながら、森を背にする。
ゆっくりと歩き出した二人の姿を、柔らかくて大きな白い月は優しく照らし出していた――。
……暗がりの中で聞こえた声は、きっと少女を救うための……
10/28/2023, 7:44:59 PM