谷間のクマ

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《二人だけの。》

「たっだいまー! 蒼戒ー、今日の夕飯何?」
 7月某日、午後6時半過ぎ。俺(齋藤春輝)が帰宅すると、双子の弟の蒼戒がキッチンに立って夕飯を作っていた。
「ん、ああ春輝か。おかえり」
「ただいま! ところで夕飯は?」
「ったくお前は……。開口一番それか……。今日は冷やし中華だ」
「えっ?! 何々お前がそんな手間のかかるもの作るなんて明日は大嵐?!!」
「うるさい。なぜか冷蔵庫に冷やし中華の麺があったんで使わないのも勿体ないと思ってな」
「あ、そーいや昨日商店街の製粉所のおばちゃんに賞味期限すぐの麺もらったの忘れてた!!」
 それは昨日の帰り道。たまたま商店街の製粉所の前を通ると、顔馴染みの製粉所のおばちゃんが「あら春輝くん。冷やし中華の麺の賞味期限が近いのがあるんだけど食べる?」と冷やし中華の麺をくれたのだった。
「そんなことだろうと思った……。ちょうどいいからお前も手伝え」
「え、俺がやると鍋爆破するよ?」
「鍋は意地でも触らせない。ゆで卵の殻を剥いてくれ」
「ああオッケー」
 というわけで俺は制服のままカバンだけ置いて手を洗い、卵の殻を剥く。
「ところでさ、二人にしては卵の数多くね?」
 二人しかいないのに対して卵は四つ。普通に考えて絶対多い。
「ああ、せっかく茹でるのに二つだけなのは流石に水とガスが勿体ないかなと」
 蒼戒はテンポ良くきゅうりを刻みながら答える。
「ったく……。お前もふたつ食べろよ?」
「いや、お前が3で俺が1のつもりで茹でていたが」
「いやいやいや! 絶対比率おかしいって!」
「ああ、もう二つほど茹でて卵サラダにするのもアリだったな……」
「いやいやいや違うでしょ! 気持ちはわからんでもないけど卵焼きとかじゃダメだったの?」
「卵焼き……冷やし中華にはゆで卵じゃないのか?」
 蒼戒はその発想はなかった、とでも言いたげな顔でたずねる。
「うーん、どうだろう……。家によって違うんじゃね?」
 現に、確か明里は煮卵、夏実は卵焼き、紅野は温泉卵を乗せていたし。
「それじゃあこれで問題ないな」
「んまあそうだけど……」
「あ、もしかして3つじゃ足りなかったか?」
 蒼戒はお皿をふたつだして茹でたての麺と刻んだきゅうりを盛り付ける。
「いやいやさすがの俺もそんなに食べねーって!」
「あれば食べるくせに」
「食べねーよ! つーかそう言うお前こそふたつ食べろ!」
「誰が食べるか」
「おっ前はもうちょっと食に執着しろ!」
「してなかったら夕飯作ってないが?」
「そうだけど! ちなみに今日これ以外に何か食べたわけ?」
「今日? えーっと朝は面倒だったので省いて……昼はそもそも食べる気がなくて用意したなかったし……」
「前言撤回。それのどこが執着してるんだよ」
 俺は明日から蒼戒の分のおにぎりも持って学校に行くかな……と思いながら突っ込む。
「いやだって食べなくてもなんとかなるし……」
「予言する。お前いつか絶対倒れる」
「倒れてたまるか。さて、できたぞ」
 蒼戒がドンッと冷やし中華が乗ったお皿を置く。
「お、さっすがー! うまそー!!」
「あとは卵を乗せれば完成だ」
「1人ふたつな」
「お前が3つだ」
「ダーメ! むしろお前が3つ食べろ!」
「断る」
「えー。んじゃあ……1.5対2.5」
「……仕方ない」
「よし、俺が切る」
「やめろ流血沙汰にはしたくない」
「んじゃあ包丁じゃなくて箸で切る」
「流石に箸で血は流れない……よな?」
 蒼戒は少々思案顔で呟く。
「さすがの俺もそこまでじゃねーよ?!!」
 そんなこんなで、2人でギャーギャー言いながら席に着く。
「いただきます!」「いただきます」
 二人だけの食卓も、すっかり慣れた。
「ん、蒼戒これタレかけてなくない?」
 一口食べて、俺は違和感を感じて言う。
「…………あっ」
 たっぷり数秒あけて、蒼戒が小さく声を上げる。
「うん……お前ってたまーにどっか抜けてるとこあるよな」
「お前よりはしっかりしてると思うが?」
「はいはい。タレどこ?」
「多分冷蔵庫の中」
「はいよ。んじゃあ改めまして」
 タレをかけて、いただきます、と手を合わせていざ実食。
「うっま……」
「久々に作った甲斐あったな」
「うん。たまには母さんも入れてみんなで食べたいなー」
「そういえば最後に3人で食べたのいつだっただろうか……」
「さあ……」
 二人だけの食卓も、二人だけの生活も、すっかり慣れた。でもたまには、家族全員揃って食卓を囲んでみたいな、なんてな。
(おわり)

2025.7.15《二人だけの。》

7/16/2025, 10:11:24 AM