生きることにも、死ぬことにも、私はあまり頓着がない。
だけど、息絶える時は痛くもなく苦しくもない死に方がいいなあ、とは思っている。
例えば大勢の人に見送られる、温かく幸せな死に方であったとして、私はそれを良しとするのかを考えた。
答えは、否。
それまでに苦痛があれば嫌な死に方だと断言する自信が私にはあった。
最期だけ良ければ良いんじゃない。
最期に辿り着くまでが良くなければ、私は良い死に方だとは言わない。
終わりよければ全てよし。
心底、私とは相容れない言葉だろう。
けれど、結局のところ今日を生きる私は、良い幕引きだと言えるよう、せいぜい今を頑張るしかないのだ。
この場所で、醜くとも必死に足掻くしかないのだ。
苦痛のない死に方を求めて、生に満足したと言えるように。
だから息絶える寸前くらいは最高の憎まれ口を叩いてやる。
「死ぬために生きるなんて、馬鹿みたいだ」
盛大に笑って、私の生きた矮小な人生を馬鹿にしてやろう。
そのために、今日も私はこの場所で呼吸をするのだから。
2/11/2024, 2:20:45 PM