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それは耳に残るようで、すぐに溶けて消えて無くなって、ひどく得難く感じて。であるのに、急にぽんと言われて、驚きに上手く拾えないこともある。

(……あー……やっぱ、もうちょっと遅くに来るべきだったか。)
教室に充満する、様々なにおいいつも以上に混じりあったそれに、頭がぐらりとした。クラスの女子が朝の間にチョコを渡し合う、なんて話を聞いたから、割と遅めに来たのに。誰かが朝ご飯代わりにファストフードでも持ち寄ったのか、あまいのに混じってどこかしょっぱい。ただでさえ、いつも化粧や香水の匂いがするのに、ここまで混ざったら凶器だ。くらくらする。
「……おい、頭抱えて大丈夫か?チョコが貰えなさそうで失望したのか?」
「するかよそんなこと。馬鹿らしい。」
「一介の男子高校生とは思えねえセリフだな。」
扉の前で突っ立ったままの俺を、一緒に登校してきた友人は吐息混じりの笑い声を漏らしながらに、廊下の方へと引っ張った。俺の手首を掴んだ方とは逆の手が、ぴしゃ、と扉を閉める。
「ほら、そんなんじゃ授業もまともに受けれないだろ?お前鼻良すぎるんだからさあ。今日は学校サボろうぜ、な?」
「……一限だけ保健室にいるから、大丈夫だ。」
「あとは出る、って?お前、それで去年廊下で蹲りだしたの忘れてねえからな。」
「…………今年は大丈夫だ。」
「じゃあ、オレが今日は帰りたいから、一緒に付き合ってくれよ。」
顔を、あげる。手首を掴んだままの手はあたたかく、見上げた表情はいつも通りだ。
優しくはない。気が遣えているわけでもない。こいつはこいつがそうしたいから、俺にこう言うのだ。なんと忌々しいことか。
「…………仕方が、ないな。一緒に、サボってやる。」
歯切れの悪い返答に、それでも、彼はふっと笑った。
「ありがとな。」

ありがとう、なんて。一体どちらが言うことなのか。言葉なんてすぐに消えてしまうのだから、そんなこと関係ないか。
ただ、その時の俺は。なんだかその言葉が無駄に貴重なものである気がして、耳に残したくてたまらなくなった。

2/14/2025, 11:07:17 AM