花とコトリ

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「見つめられると」

テーブルの上のりんごが、静かに光を反射している。
春の光を吸い込んだその赤い肌は、触れれば柔らかな温度が指先に伝わりそうだ。

ふと視線を感じて顔を上げると、足元にクロがいた。
彼は鼻先を微かに揺らし、テーブルから漂う甘い香りを一心に追いかけている。
その黒い瞳が、まっすぐに私を見つめていた。

「まだだよ」
そう口にすると、彼はわかっているのかいないのか、首を少しだけ傾ける。

見つめられると、世界の時間がふいに止まる。
ただの果物と、小さな命。
その間にある、言葉にならない名前のない時間。
私は、剥きかけのナイフを一度置いて、
クロの柔らかい頭をそっとなでた。

3/29/2026, 12:32:33 AM