香草

Open App

「青く深く」

夕焼けの色は紅く夜明けの色は蒼い。
どちらも太陽が少しだけ顔を出しているだけなのに、これほどまでに色が違うのはなぜだろうか。
冷たさも違う。濡れた肌を乾かすのは夕日ばかりだ。
どうしてだろう。新しい一日が始まるのにどうして、こんなにも心が冷えてしまうのだ。
海辺のバーの照明が消え、とうとう看板をしまう頃、彼女はまとめ髪を下ろしてエプロンを外す。
そしてまだ太陽が昇っていないことを確かめるように潮騒の音に耳を澄ませると、姿を消す。
それから太陽が沈むまで姿を見せない。
彼女の姿が見えるのは夜の間だけ。

底はまさに夜のように暗く冷たい。
あの夜、あのバーに入っていれば、あのバーで彼女に会っていれば僕もここには居なかったのかもしれない。
死んだ後に恋するなんて虚しいだけだ。
ここは青ばかりで深く苦しい。
弱い光が艶かしく体をくねらせて彼らの鱗を照らす。鮮やかなはずなのに全てが恐ろしく暗く青い。まるで夜明けのように。
夜が嫌いで、1人が嫌でここに来たはずなのに、太陽は僕が見えないかのように頭上を通過していく。
天井は僕をここから出すことを許さないようかのようにずっと揺れている。
結局僕は夜から逃げ出せないし、彼女に愛を伝えることもできないのだ。

──────────────────────────────────

メニューがポップに描かれた看板を店にしまおうとすると渋い顔の2人組がやってきた。
「ここの近くの岩場で発見された遺体のことで聞き込み調査をしています」
警察手帳を一瞬だけ見せると、店のドアを開けられる。
「少しだけお時間よろしいですか」
有無を言わせない態度に若干苛立ちを隠せず、クローズのフダを指さす。
刑事の瞳に少しだけ戸惑いが浮かぶ。
「いえ、自殺かどうか調査しているだけです。あなたを疑っているわけではありません」
私は丁寧にお辞儀をすると店のドアを閉めた。
店は全面ガラス張りなので部外者を完全シャットアウトはできないけれど、いつのまにか刑事たちは姿を消していた。

生まれた頃から私たちの仲間ではない影が底に蔓延っていた。悪さはしないけれど、増えれば増えるほど海面から差し込む太陽の光は弱くなった。
影は小さいものもあれば大きいものもある。それらが元は人間だと気付いたのは、ある夜のことだ。ドボンという大きな音と共に油だらけの人間が降ってきた。しばらくもがいていたけれど、みるみるうちに影になった。
そして夜よりも暗い底で一生出られない海面をうろうろするのだ。
夜の生き物は太陽に見つかってはいけない。
だけど陸に上がり、私は海辺にバーを作ったのだ。
夜を嫌い、海に飛び込む人間を少しでも引き留めるために。
夜の化け物にならないように。

6/29/2025, 2:50:32 PM