【モンシロチョウ】
「見ろよ〇〇、バッタだ!」
「やめて!気持ち悪い!」
お兄ちゃんが素手で掴んだ、片足の取れたバッタを私に見せびらかす。
顔の前に突き出されたバッタは足をうようよ動かしていて、必死に逃げようとしてる。
気持ち悪い。
妹の私は外で遊ぶのが好きなお兄ちゃんに付き合わされて、外によく連れ出されていた。
お兄ちゃんは虫取りが大好きで、よく捕まえた虫を私に見せびらかす。
前に頬に押し付けられたミミズの感触は、思い出すだけで背筋がゾッとするのだ。
「うりうり〜」
お兄ちゃんは嫌がる私をいつもいじめてくる。
何度やめてと言っても、やめてくれたことは一度もなかった。
妹の私はお兄ちゃんに勝てない。
「もういやっ!」
私は逃げ出した。
初めて逃げた。
必死に逃げた。
後ろから、お兄ちゃんのけらけら笑う声だけが追いかけてくる。
逃げ出したのが面白いらしい。
私は何も面白くない。
お兄ちゃんも虫も、大嫌いだ。
しばらく走ると、息がぜえぜえしてきて、走れなくなった。
膝に手をついて、肩で息をする。
目の前にいたのは、モンシロチョウだ。
「わっ!」
思わず驚き、尻もちをつく。
いつの間にか、花畑に来ていたらしい。
モンシロチョウは私に驚いて、前の方に飛んでいき…
「はぁ…はぁ…は…?」
女の子だ。
サンダルに、白いワンピース。黒く長い髪は光を反射してきれいな輪っかを描いている。
さっきのモンシロチョウは、白いリボンのように、女の子のおでこにとまっていた。
今まで見てきた何よりもきれいな女の子が、足下の花を摘んで、花冠を作っていた。
さっきまで必死に走っていたことも忘れ、私は息を呑む。
私に気付いた女の子は、そっと笑みを浮かべて歩み寄り、葉っぱの匂いと、花の香りがする手で私の涙を拭った。
「大丈夫?」
聞かれた私は口だけパクパクさせて、返事ができなかった。
息をするのを忘れるくらい、女の子の大きな黒い瞳に、私は見惚れていた。
「これ、あげる」
そう言うと女の子は花冠を私に被せ、
「いいこいいこ。元気出して」
よしよしと頭を撫で、翅でも生やしたようにあっという間に走り去っていった。
花冠と共に頭に残る優しいぬくもりと、いつの間にか手に止まっていたモンシロチョウだけが、妖精のような女の子がいたことを教えてくれた。
5/10/2026, 12:50:59 PM